2012-01-01から1年間の記事一覧

シャンパンの完璧な泡を作る秘訣とは?

さすがにシャンパンの本場ランスの大学の学者ですね。泡のために15年も研究しているそうです。 完璧な泡のためには、細かい泡がいいそうです。そのための砂糖の量の黄金比があるとのことです。 でも味はどうなんですか、と思いますが、とりあえずこの動画で…

ピカシェットの家(シャルトル、フランス)

シャルトルの中心地を離れ、車がビュンビュン走っているような通りを抜けて、「ピカシェットの家」まで歩いて行きます。 ここはレイモン・レジドールという人が、26年かけて、家や庭を廃品のビンや陶器のかけらで飾りました。 右側にはエッフェル塔らしき…

パリのノートルダム寺院の新しい鐘に思いを馳せる

パリのノートルダム寺院に新しい鐘が取り付けられるのですね。 大聖堂自体は大好きなのですが、パリにおいても、そのほかの地域においても、その鐘の音が後々まで印象に残った、という記憶がほとんどありません。 視覚と違い聴覚なので、写真に保存できず、…

地味だが壮大なシャルトルのサンピエール教会

この飛び梁が印象的な、ゴシック建築の建物はサンピエール教会です。 シャルトルでは、ノートルダム大聖堂があまりにも有名なのですが、他にもこのような立派な教会があるのですね。写真を見直していて改めて気づいた次第です。 外観は地味ですが、これほど…

南扉付近からのシャルトル大聖堂(フランス)

再びシャルトルのノートルダム大聖堂に近寄ります。 大聖堂の南側から見て、手前のシンプルなロマネスク様式の塔が旧鐘楼、向こうの複雑なゴシック様式の塔が新鐘楼です。 塔の回りも、いかにも天に向かって伸びているような感じですね。 大聖堂の精神性が…

ラファエロの素描、39億円で落札

この素描、39億円で落札されたそうです。 まあラファエッロの作品ですから、決してありえない額ではないのですが、とりあえずは凄い、としか言えないですね。 記事によると、これはラファエッロの絶筆である「キリストの変容」のための素描だったようです。 …

展開するシャルトル大聖堂の威容

街中から再びシャルトルのノートルダム大聖堂を望みます。 家並みの間からでも、二本の巨大な尖塔がはっきりと見えます。 川沿いまでくだり、橋のそばから大聖堂を姿を見つめます。 少し足場を上げて写真を撮ります。 ベンチの上にでも立ち上がっていたので…

ウール川とサンタンドレ教会(シャルトル、フランス)

シャルトルのノートルダム大聖堂から降りてくると、写真のような、ゆったりとした川が流れています。 これはウール川と呼ばれています。細くて浅そうな川ですが、昔は水運などでも使われたのでしょうね。 また、シャルトルの街にとっては、お堀のような役割…

シャルトル大聖堂の後姿(フランス)

大聖堂の正面から、後ろに回ります。 まだこの時間は、大聖堂内部が開いていなかったのかもしれません。 駅から大聖堂の正面に行くまで、軽い上り坂を歩いていきました。この写真だと、大聖堂が少し高くなったところにあることがよくわかりますね。 この場…

シャルトル大聖堂のファサード

自分にとって、フランスの象徴とは何か?と思うことがあります。 そんな時、まず候補に出てくるのがゴシック大聖堂です。 もちろん、こういう大聖堂は、ドイツやイタリア、イングランドなど欧州全般に見られるものです。 それでも、フランスの各地を訪問し…

シスレーのモニュメント(モレ・スール・ロワン、フランス)

モレ・スール・ロワンの町をうろちょろし、最後帰る前に観光案内所のそばにある、シスレーの像のそばにきました。 この像は1911年に、ウジェーヌ・ティヴィエによりつくられたものです。 除幕式はその年の7月11日に行われたそうです。 後ろのポスターに書…

モレ・スール・ロワンのベル・エポックのダンサー(フランス)

ロワン川沿いから、観光案内所あたりに戻ってきます。 そこでは、写真のような、黒いドレスを着た女性によるダンスが行われていました。 BELLE EPOQUEとの表示がありますので、おそらくその当時のダンス(チャールストンダンスとでもいうのでし…

モレの製粉所(シスレー作、モレ・スール・ロワン、フランス)

ロワン川の橋のたもとに行き、中州を写真に撮ります。 おそらくこの中州に、橋から降りていったようなおぼろげな記憶があります。 この橋はシスレーの時代には2、3の水車小屋(水力による製粉所)があったそうです。 上の作品はシスレーが1883年に描いた…

神の代理人 塩野七生 著

神の代理人 塩野七生 著 新潮文庫 平成24年11月1日 発行 二十代後半から三十代前半の、若かりし塩野さんによる作品。 キリスト教の総本山のあるローマに来て、ルネサンスは創り出したけれど宗教改革はしなかったという、宗教的には少々不真面目な、そ…

ロワン川の対岸にて(モレ・スール・ロワン、フランス)

パンとジュースを買って、再びロワン川沿岸に行きます。 この写真は今までとは反対の沿岸になります。 こちら側から見る、橋などの風景は地味ですね。 やはり教会の建物はシスレーの絵画の中でも目立ちますね。 まあそれでも、のんびりと流れる川と、水鳥を…

シスレーの描いたモレの教会

この写真は、モレ・スール・ロワンのノートルダム教会です。 シスレーはこの教会を14点描いたそうです。 天候や季節は変えても、角度は全て同じです。 現地で買ったパンフレットには、そのうち二点が載っていました。 この作品から真っ先に連想されるのは、…

シスレーの家(モレ・スール・ロワン、フランス)

この家は、シスレーの終の住処となった場所です。 ここはモレ・スール・ロワンの教会の近くで、モンマルトル通り19番地になるそうです。 シスレーがモレに移り住んだのは1889年なのですが、1892年ごろにこの家に移りました。 そして1899年1月29日に、この家…

自転車道のロードヒーティングを検討 オランダ

こんな考えがあるのですね。 自分も通勤には、自転車も利用しているので、これからの寒い冬を考えると夢のある話です。 まあそれでも、現実にはやはりコストの部分でかなり難しいと思います。 オランダはともかく、日本ではまず自転車道の整備自体が遅れてい…

モレ・スール・ロワンのパレード(シスレーの絵画の舞台)

再び橋に戻ると、この写真のようなパレードがありました。 ジャズの楽団がいる一方、中世の巡礼らしきの扮装をした人たちが歩いていました。 振り向いているお姉さんの服装なども、ベル・エポック時代になるのでしょうか? 更にはらくだなどもいますね。 ち…

シスレーのモレ・スール・ロワン

ピサロのポントワーズに寄り道していましたが、再びシスレーのモレ・スール・ロワンに戻ります。 対岸から、橋や聖堂を臨みます。 これに近い角度は、シスレーの多くの絵に残っていますね。 現地で買ったパンフレットからです。 橋や聖堂、またその間の建物…

20世紀美術 マチスを回顧する など

20世紀美術 宇佐美圭司 著 岩波新書337 1994年5月20日 第1刷発行 マチスの「ピアノのレッスン」 全体の半ば以上をおおったグレー・トーンが色を感じさせる。 色だけでなく形の省略の仕方、単純にするやり方が心憎い。 マチスの絵にはごちゃごちゃして整理に…

モナ・リザと数学

モナ・リザと数学 ダヴィンチの芸術と科学 ビューレント・アータレイ 著 高木隆司・佐柳信男 訳 科学同人 発行 2006年5月1日 第1刷発行 レオナルド・ダ・ヴィンチの人生や研究成果、そして作品の解説を中心に、さまざまな科学者のたどった道を叙述していま…

ノーベル平和賞のEU、授賞式のスピーチは誰がするのか

2012年ノーベル平和賞として欧州連合が選ばれた。 この是非はともかくとして、自分のようなヨーロッパ好きには素直にめでたく、嬉しいことである。 しかしここで問題が起こったらしい。 授賞式に誰が出席するかである。 通常EUの代表としてはファンロンパ…

猫をさがして パリ20区芸術散歩

猫をさがして パリ20区芸術散歩 夏目典子 著 幻戯書房 著 2012年1月11日 第1刷発行 この本では、パリの1区から20区まで順番に、芸術家の作品に出てきた猫と、それに関連する話について紹介しています。 パリ各区においてのエピソードを収集しているのです…

絵で見る十字軍物語

絵で見る十字軍物語 塩野七生 著 ギュスターヴ・ドレ 絵 新潮社 2010年7月25日 発行 この本は、見開き二ページごとに、ギュスターヴ・ドレの挿絵、地図、そして簡略な解説、という形式で十字軍の歴史を紹介しています。 ドレの挿絵は、元は19世紀前半に書…

パリのスーペルマルシェ

自分がパリにいたとき、一番よく行ったのが、モノプリという名のスーペルマルシェ(スーパーマーケット)だった。 理由は単に下宿のあるアパルトマンの1階にあったから、だった。 広さは郊外店の様に大きくなかったが、街中ではまあまあのサイズだと思う。 …

ル・ポン2012 赤穂国際音楽祭

かの樫本大進さんが音楽監督を務める、ル・ポン2012を観に、赤穂まで行ってきました! このコンサートは、以前赤穂城や閑谷学校などの野外でも行っていたのですが、今回赤穂ではホールでのコンサートだけでした。 まあ音響面などは、明らかにホールのほうが…

「イタリア・ルネサンス美術館」より「アテネの学堂」

イタリア・ルネサンス美術館 松浦弘明 著 東京堂出版 発行 2011年11月30日 初版発行 この本では、ルネサンス期の作品による、架空の美術館を設定しています。これにより作品の比較を容易に行えるようにし、よりわかりやすく解説しています。 合計35室あり…

パリの下宿の思い出③ 大家はオババ

大家さんは年配の女性で、あちこちにアパルトマンの部屋を持っていたようだった。自分の同僚も彼女の部屋を借りており、その大家をよく知っていたが、大きなめがねをかけ、がっしりした体型の彼女を「オババ」呼ばわりしていた(笑)。 家賃の支払いは、毎月…

パリの下宿の思い出② 倒れる洗濯機

自分の下宿は築30年くらいだったが、冬には床暖房が使えた。日本ではあまり普及していないが、フランスでは備え付けられてたアパルトマンも結構多いようだ。やはり冬の寒さの違いがあるのだろう。おかげで冬の朝でも、目覚めのときに寒かったなあという記憶…