2007-12-01から1ヶ月間の記事一覧

メディチ家 その勃興と没落

メディチ家 その勃興と没落 クリストファー・ヒッバート 著 遠藤利国 訳 1984年12月10日初版第1刷発行 リブロポート この本は、題名が示すとおり、メディチ家の起こりから終わりまで、その通史を書いている。 今までもマンガ・メディチ家や、塩野先…

須賀敦子のフランス⑥アルザスの曲がりくねった道

須賀敦子の、フランスでの足跡を巡る旅は、アルザスで終わりを告げる。 彼女はコルマールに滞在しウンターリンデン美術館や、サント・オディール山、そして小さな村々を訪問している。 いづれも、未定稿「アルザスの曲がりくねった道」の取材のためだった。 …

モンス民俗・生活博物館にて(ベルギー・ワロン地域)

グランプラスを一旦離れ、モンス民俗・生活博物館に行きます。 ここの写真は撮らなかったので、パンフレットの写真をつけておきます。 実際のおぼろげな記憶では、もっと木に覆われていたかな、という気がしました。 入り口の前で年配の女性とすれ違います。…

須賀敦子のフランス⑤リヨン

須賀敦子の跡を追い、稲葉ご夫妻はリヨンも訪問している。 街中を見た後、郊外のリヨン聖心会修道院を訪れる。 ここで須賀は、シスターのオディールと会う。 彼女が書こうとした作品「アルザスの曲がりくねった道」で、オディールの生涯を辿ろうとしたのだ。…

モンスのグランプラス(ベルギー・ワロン地域)

モンスの鐘楼のそばをとおり、いよいよ街の中心のグラン・プラスへ到着します。 そこは写真の通りカフェやブラッセリーもありました。 当日は園芸関係の出店もあり、草花をほろほろと眺めていました。 そしてその広場に面した「コペンハーゲン・タヴェルナ」…

須賀敦子のフランス④アヴィニョン

須賀敦子のフランスでの足跡を追う旅は、ロワール河畔のサン・ブノワ聖堂に続き、アヴィニョンに到達する。 須賀は、アヴィニョンについては、「太陽を追った正月」と題するエッセイで書いているとのこと。 その中では、名所旧跡にはほとんど触れておらず、…

モンスの鐘楼(ベルギー・ワロン地域)

聖ウォードリュ教会からグランプラスに行く途中で、鐘楼を眺めます。 この鐘楼は1662年の建設で、ベルギーにある唯一のバロック様式の鐘楼だそうです。 塔の高さは87メートルあり、上に登るとモンスの街から郊外の平原まで見渡せるそうです。 この時は…

須賀敦子のフランス③パリ

1953年8月、須賀はパリのカルチェラタンのカソリック団体経営の学生寮に寄宿する。 この年のパリはひどく寒かった。 また時代もフランスの敗戦となるインドシナ戦争の頃だった。 そんな須賀を慰めたのはノートルダム大聖堂の威容。 カテドラルに象徴さ…

聖ウォードリュ教会の歴史(ベルギー・モンス)

聖ウォードリュ教会を内陣の方向から眺めます。 このいわゆる、ブラバント・ゴシック建築の内陣は1450年から建設がはじまったそうです。 1506年にこの部分は完成しました。 そして翼廊(トランセプト)は1527年に完成しましたが、続く身廊(ネフ…

須賀敦子のフランス②シャルトル大聖堂

「須賀敦子のフランス」よりまずはシャルトルの大聖堂を。 1954年の6月半ば、彼女はパリからシャルトルに向かう学生の巡礼の中にいた。 パリ留学の厳しさに、抜け道を求める気持ちで参加した、とある。 信仰についての討論を重ねながら、そして空腹と疲…

モンスの聖ウォードリュ教会(ベルギー・ワロン地域)

ベルギーの分裂騒動を危惧して・・・というわけではないんですが、ナミュール、ディナンに続き、ベルギーワロン地域の街、モンスを取り上げます。 駅を降りて、まず、インフォメーションに入った、ように思ったんですが、今地図を見ると、それらしき表示があ…

須賀敦子のフランス①

須賀敦子のフランス 稲葉由紀子 文 稲葉宏爾 写真 河出書房新社 2003年3月30日 発行 フランス在住のご夫妻による、須賀敦子という作家の、フランスでの足跡をたどった本。 この稲葉ご夫妻は、他の本でもフランスを紹介しているが、さりげなくフランス…