神の代理人 塩野七生 著

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神の代理人
平成24年11月1日 発行
 
二十代後半から三十代前半の、若かりし塩野さんによる作品。
キリスト教の総本山のあるローマに来て、ルネサンスは創り出したけれど宗教改革はしなかったという、宗教的には少々不真面目な、それだからこそ人間性の現実を直視する能力には優れているともいえなくはない、イタリア人を知ってしまった。
まじめなキリスト教を憧憬している日本人に対して、必ずしもそんなものではない、信仰を尊重すると同時に現実の姿を直視してほしい、という思いから書かれた。
 
最後の十字軍を率いようとしたピオ二世。
しかし作品中のアレッサンドロ六世の言葉を借りれば
枢機卿時代は、洞察力の非常に鋭い教養人だったが、聖ペテロの座についたとたん、その使命を感じすぎ、思いつめてしまった。その結果、十字軍遠征を提唱したが失敗し、怒りと絶望のため狂ったようになって死んだ」
 
そのアレッサンドロ六世は、フィレンツエで神聖政治を行ったサヴォナローラとの対立を中心に描かれる。
この法王は、息子のチェーザレ・ボルジアとともにスキャンダル等で悪名高いが、この作品の中では、人間の心を読み解きながら、あくまでも冷徹に自己の目的を完遂するクールな権力者として描かれている。
 
サヴォナローラの権力が崩れた直後の、法王の秘書官の日記に仮託した、著者の著述
民衆をある事柄に熱狂させることはさほど難しいことではない。しかしそれを続けさせることは難しい。民衆の支持をあてにして権力を得たときは、支持を当てにするのではなく、その方策を一変する必要がある。民衆にはひとさじの蜜を与え、それ以外はがっちりと枠にはめてしまうことである。民衆はその蜜に満足してしまい、はめられた枠に気づきもしないこととなる。
サヴォナローラの誤りは、以上のことを悟らなかったことである。
(このあたり、マキャベッリの言葉から取ったものと思われる。それにしても昨今の日本の政治においても、考えさせられる言葉である)
 
アレッサンドロ6世は、政教分離を考えた最初の法王ではないだろうか。当時イタリアは法王庁の領土を含め、多くの君主国や共和国に分裂している。このままだと全て統一の進んでいるフランスやスペインの餌食になるだけである。
そうならないためには、イタリア全土を統一した世俗国家にして、なおかつ法王庁を全キリスト教世界の、真の意味での教会の役目だけを果たすようにする。
この意図を、自分の息子を使って実現しようとした。自分個人の野心とイタリアの利益が一致していることを知っていてのことである。
 
そのようなアレッサンドロ六世に対し、後任のジュリオ(ユリウス)二世はあくまでもローマ教会の権威の再建のためにしているのだと、それを誇りにさえしていた。
しかしアレッサンドロにはチェーザレ・ボルジアという格好の毒に対する抗体があったが、ジュリオ二世にはそれがなかった。
そのためにたえず新しい毒、つまり時にはフランス勢、時にはスペイン勢、そして更にはドイツ勢、という外敵を巧みに操らざるを得なかった。
結果、絶え間ない戦争の中に身をさらすこととなった。
 
その跡を継いだレオーネ10世。
あくまで呑気に平和の喜びを味わうために大盤振る舞いしてしまい、たちまちヴァティカンの財政を悪化させてしまう。
そのような堕落に対し、ルター派が勢力を伸ばしてくる。
そしてこのメディチの法王の死とともに、ローマは、イタリアは世界史の主人公の座から降りる。ルネサンスは終わった。
さらに死後6年後、1527年、サッコ・ディ・ローマにより破壊と略奪を受ける。
その後に起こった反動宗教改革でも、あまりに厳しすぎてイタリア人の気質には合わず、早々にスペインにご移転願った、となる。