モナ・リザと数学

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ダヴィンチの芸術と科学
ビューレント・アータレイ 著
高木隆司・佐柳信男 訳
科学同人 発行
2006年5月1日 第1刷発行
 
レオナルド・ダ・ヴィンチの人生や研究成果、そして作品の解説を中心に、さまざまな科学者のたどった道を叙述しています。
 
科学は技術と違い、時々思い出したように進歩したり、時にはまったく逆向きに退化することもあった。
ローマ人は技術者であって純粋科学にはほとんど貢献していない。
そしてローマ帝国からルネッサンスまでは科学は衰退の一途をたどった。
ルネッサンスで科学が再発見され、17世紀の科学革命によって科学と技術が手をとりあうようになった。
 
18世紀末にエジプト学が興されてから150年の間、ピラミッド建設による学説は、紀元前5世紀にそこを訪れ、住民から話を聞いたギリシャ歴史学者ヘロドトスの書物に基づいていた。
彼はピラミッドは奴隷によって建てられたと書いているが、今の説では自発的に参加した労働者による公共事業だったという説が有力である。
ヘロドトスの時代とピラミッドの時代の隔たりは、彼と私たちとの時代の隔たりと同じくらいあった。彼に間違いの部分があったとしても不思議ではない。
 
一点透視法は常に地平線上に収束する。ラファエッロの「アテネの学堂」がその例である。
二点透視法は消点が二つあり、通常は建物などの角を正面とした図を描くときに使われる。
三点透視法は摩天楼からの眺めのように非常に高いところから見下ろすか、地上から高いものを見上げるときなどである。奥行きだけでなく高さも表現する。
四点透視法は二つ地平線上にあり、ほかの二つは物体のはるか上方とはるか下方に対で存在する。102階建てのビルを、向かいのビルの51階から見るような感じである。
 
紀元前3世紀に、エラトステネスにより、地球の円周は正確に算出されている。
1492年にコロンブスがこの数字を知っていたら、インドやアジアにたどり着いたと勘違いすることも無かったであろう。
 
ワシントンの国立アメリカ博物館にて、ニュートンの特別展が行われていた。
そこを教え子とともに見学していた著者。
微積分法を確立し、万有引力の法則を発見し、天体と地球の力学を統合し、更には産業革命の種をまいたともいってよいニュートンに対し、著者が聞いた団体客のガイドが語った唯一の言葉「彼は有名なイギリス人の科学者で、もしかしたらゲイだったかもしれませんが、実際のところはよくわかりません」
 
「私が人よりも遠くを見渡せたとするならば、それは私が偉大な先人の肩の上に立っていたからである」
科学が小さな積み重ねの蓄積であること、また宇宙の壮大なスケールの前に、自分の業績がいかに矮小であるかを実感しない科学者はめずらしいともいえる。