2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧
アッピア街道の敷石が大きいものと小さいものがありましたが、どっちが古代の姿なのでしょうか? それは大きい方なのです。 現在、当時の石がどの程度残っているのかはわかりませんが、それでもその大きさにより、古の雰囲気を残してくれています。 大きい…
ずっと歩いてきたアッピア街道を 逆戻りしていきます ローマの松と糸杉が 緑のトンネルを形づくって 旅人を吸いこんでいきます
パルテノンとギリシア神殿 世界美術双書003 関隆志 著 1996年3月25日 初版第1刷 東信堂 1687年9月26日パルテノンに砲弾が命中し、火薬庫に引火。神殿を破壊しつくす。 それから300年以上経った1983年にアクロポリスの文化財保存国際会議が開かれ、パルテノン…
世界の城郭 ドイツ・北欧・東欧の古城(新装版) 太田静六 著 吉川弘文館 発行 2010年(平成22年)11月1日 新装版第一刷発行 題名では、ドイツ・北欧・東欧となっているが、掲載スペースが多い国は、スイス、ドイツ、(旧)ユーゴスラヴィア、イタリアとな…
右向いて左向いてまた右向いて 何度も注意深く車の流れを見て なんとかアッピア街道を横切る幹線道路を渡ると、さらに写真のように街道が続いていきます。 「ローマ人の物語」によれば、アッピア街道に子どもの遊園地的に手を加えた、と書いてありましたが…
アッピア街道をどこまで歩こうかと思った時、「ローマ人の物語」で書かれている、街道が一旦切れている部分まではなんとか行こうと思いました。 それがこの写真の場所です。 「ローマ人の物語」によると 第二次世界大戦後に環状道路をめぐらせる際、アッピ…
このモニュメントは「装飾花づなの墓」と呼ばれるものです。 左側に四人の肖像が彫られており、大きな塔とセットになっているようです。 別の角度から写真を撮ります。 黒い服を着た人が冬のアッピア街道に妙に似合います。
この墓は「ラビリイの墓」と呼ばれるモニュメントです。 半身像は、解放奴隷のラビリイさん夫妻と、イシス神殿の巫女長のウシアさん、とのことです。 どういう経緯でご夫妻だけでなく巫女長も半身像に収まることになったのかはわかりません。 ある種の権威…
ブエルタ・ア・エスパーニャ終了。 総合優勝は意外といっては失礼だが、ジェオックスのコーボ選手だった。 もともと地味な選手で、この大会の前、引退を考えていたらしいが、そんな選手がこうやって素晴らしい結果を残せたのは、こちらまで嬉しくなってしま…
ただただ続くアッピア街道 真直ぐな道を 真直ぐに行こうとしても いつの間にか 寄り道したり 逆戻りしたりして くねくねくねくね 無駄足ばかりの 長い長い 果てしない道
さらにアッピア街道を歩いていくと、五人の人物のレリーフがある墓がありました。 これは「ヒラリウス・フスクスの墓」と呼ばれているものです。 一族の皆さんが同じようなポーズで揃っていますね。