モンテーニュ 旅日記(上)(~バーデン)

モンテーニュ 旅日記(上)表紙

モンテーニュ 旅日記(上)

宮下志朗 訳

岩波書店 発行

岩波文庫 赤 509-7

2026年2月13日 第1刷発行

 

1580年、地元ボルドーで『エセー』初版を出したモンテーニュは、同年9月から1581年11月まで旅に出ます。

この上巻ではパリ近郊のボーモンからスイス、ドイツ、オーストリアを経由して、ヴェネチア、フィレンツェ、そして念願のローマでの出来事が書かれています。

200年後のゲーテのイタリア紀行に比べて、従者を連れていることもあり、宿屋なども結構いいところに泊まっているように思えます。さらに文章までかなりの部分従者に書かせているので、一見優雅に見えます。しかしその一方、腎臓の結石とかに苦しみ、石や砂を多量に出してるのには痛々しく感じます。

そういった健康状態にも関わらず、彼は好奇心旺盛に、色々な事物を観察し、様々な人達に会っているのには感服します。

 

凡例

本文にはフランス語で書かれた部分の他、イタリア語で書かれた部分がある。また、モンテーニュ自身が執筆した部分、秘書が執筆した部分がある。

モンテーニュが立ち寄った、あるいは宿泊した地名はゴチック体とした。

(段落も落としてくれているのでわかりやすいです)

 

貨幣換算表

当時のイタリアと、教皇領であるローマの貨幣の種類は異なる。

 

第一部

(モンテーニュの秘書によって書かれたパート)

Ⅰ ボーモンからプロンビエールへ

ドンレミ=シュル=ムーズ

ジャンヌ・デーあるいはダリスと呼ばれた、有名な「オルレアンの乙女」の生地である。

(訳注 もちろんジャンヌ・ダルクのこと)

 

Ⅱ プロンビエールからバーデンへ

ビュッサン

ちっぽけな寒村で、フランス語が話される最後の集落である。

(訳注 ロレーヌ公領の南東端にあたる)

 

ミュルーズ

スイスのバーゼル州の美しい小都市である。

(訳注 現在はフランスのオー=ラン県の工業都市)

 

バーゼル

フェリックス・プラッターという医者の珍しい家を見た。フランスのちょっと気取った絵が壁面にびっしりと描かれた、めったに見られない家だ。

(訳注 彼の父親は、羊飼いから身を起こして 教育者となり、ユニークな自伝『放浪学生プラッターの手記』を残したトマス・プラッターである)

(このブログにその本のメモを残しています)

 

これは市中のことで、城外は別なのだが、彼らの時計というのが、いつも本当の時間よりも1時間早い時を打つのだ。たとえば、10時を打てば、それはまだ9時ということなのである。彼らの話によると、昔、たまたま彼らの時計がそのようにまちがって鳴ったおかげで、町が攻撃から救われたことがあるからだという。

(訳注 モンテニューは「まちがって鳴った」と書いているが、実際は、戦術的にこのようにしたともいう。また「バーゼル公会議」の際に、長引く会議を終わらせるべく、このようにしたことが起源だともいう。)

 

モンテーニュ殿は、人々の答え方が違っていることから、奉じる宗教が異なっているのだなと判断された。とにかく、答えがまちまちで、ツウィングリ派という人たちもいれば、カルヴァン派だ、あるいはマルティン・ルター派だ、という人もいるといった具合である。また、心のなかでは、いまでもローマの宗教を抱いてる人がたくさんいることも教えられた。

 

この地域一帯には、数限りなく泉がある。どの村にも、どの四つ辻にも、必ず美しい泉があるのだ。バーゼルには、合計すると300以上もあるとのこと。

 

彼らは決してワインを水で割らないのだが、それはもっともかなと思う。ワインがとても軽口なので、われらがご主人さまたちが、かなりの水で割ったガスコーニュのワインより まだ弱いなどとおっしゃったほどである。それでも、けっこう繊細な味をしている。

彼らはザリガニを大変に珍重していて、いつも特別に蓋付きで出てくる。そして、お互いにどうぞと勧めあったりするが、これは他の料理ではしないことだ。

 

バーデン

バーデンのほとんどの人たちは、信仰心から、毎週水曜日には魚を食べるという返事だった。

(訳注 イエスが十字架に架けられた「聖金曜日」にちなんで、金曜日には肉食せず魚をという習慣は、カトリック諸国などに多いが、「水曜日には魚」という習慣については不明。)

 

 



逆光のモハーの断崖(アイルランド)

逆光のモハーの断崖

逆光のモハーの断崖

ラヒンチの海岸を出発し、いよいよこのバスツアーのハイライトである、「モハーの断崖」です。

まずは逆光のモハーの断崖から。

約200m ほどの高さの断崖が、幾層にもわたってそびえています。

太陽に輝く空の雲と、白く輝く海辺の間に、黒い断崖がどっしりとした存在感を見せつけています。

 

 

日本語の補助動詞とそれに対応するフランス語の表現(フランス語を考える20章 より)

日本語では、《移動》と《話し手を原点とする方向性》を示す補助動詞としての「いく/くる」が頻繁に用いられます。それは、「去っていく」、「上がっていく」のような「〜ていく」という形と、「降ってくる」、「買ってくる」のような「〜てくる」という形に見られるようなものです。

これがフランスではどのように表現されているのかを調べてみると、なかなか興味深いことが分かってきました。

 

Il court vers sa mère.

彼は母親のところへ走っていく

Françoise s’est avancée vers son professeur.

フランソワーズは先生の方へ進んで行った

Passez par là.

そこを通っていきなさい

 

上の例からわかることは、フランス語の動詞には《移動》の意味特徴が明らかに表れているのに対し、日本語の方は、《移動》を明示するためにわざわざ補助動詞の「いく」あるいは「くる」が使われているということです。

上記の例文を次のように変えてみると、日本語の訳を変えなくてはならなくなる現象についてです。

 

Il court vers moi.

彼は私の方へ走ってくる

Françoise s’est avancée vers nous.

フランソワーズは私たちの方へ進んできた

 

これでわかるように、日本語の補助動詞「いく」、「くる」には《移動》の他に、明確な《方向性》を示す意味の特徴があると言えます。その方向の原点は《現に今話している人=私》であって、この原点から離れる方向を表すのが「〜ていく」であり、この原点に向かう方向を表すのが「〜てくる」

 

どうも日本語ではこのような補助動詞をつける傾向が非常に強いようです。

viande:Le chien s’est sauvé avec le morceau.

犬は肉切れをくわえて逃げていった

avion:Il prend de la hauteur.

飛行機はどんどん上がっていく

Le bateau s’éloigne de plus en plus.

船はだんだん遠ざかっていく

 

日本語による表現が「〜てくる」になる例。

フランス語では方向の原点である話し手を表すのに、代名詞の一人称を用いているのに対し、日本語では「〜てくる」という補助動詞によっている点です。

Il a cherché à me questionner d’une manière détournée.

遠回りに探りを入れてきた

Après un orage:Les nuages lâchaient de grosses gouttes sur nous.

頭上の雲から大粒の雨が降ってきた

 

人に何かを頼むとか命令する場合には、日本語では「〜てきて(くれ)」の形を用いることが多いのですが、フランス語ではこれによく2つの形が対応します。

 

1つは一人称代名詞を添えた命令にすることです。

Achetez-moi une boîte de sucre en morceaux.

角砂糖1箱買ってきてください

 

もう一つは、フランス語ではaller[+inf.]の形にする場合です。

これは日本語の表現があくまでも〈◎↩〉という点に着目しているのに対し、フランス語の表現は、〈◎→〉という点に着目していると言って良いのでしょう

N’attendez pas:Allez tout de suite chez le dentiste!

すぐ歯医者さんに行ってきなさい

これらは人に頼む場合だけではなく、自分のことの場合にも言えます。

Je vais aller me laver.

手を払ってこよう

 

日本語の補助動詞「〜ていく」、「〜てくる」は話し手を原点とした方向性を持つ語と言えますが、フランス語にはこの補助動詞にあたる語形がありません。

 

フランス語を考える20章

フランス語を考える20章 表紙

フランス語を考える20章

泉邦寿 著

白水社 発行

1978年7月20日 第1刷発行

1994年1月15日 第4刷発行

 

もともと、雑誌『ふらんす』に1974年4月から1976年3月まで2年間にわたって連載したもののうち、特に意味論に関連の深いものを集め、それにあらたに7章を書き足し、さらに大幅に手を入れた本です。

 

1 単語の意味

mettreという動詞

Je mets ma veste.

Je mets mon pantalon.

Je mets mes lunettes.

Je mets mon chapeau.

Je mets mes gants.

「(私は)上着を着る」「ズボンをはく」「メガネをかける」「帽子をかぶる」「手袋をはめる」

Mettez ce sac sur la chaise.

この袋を椅子の上に置いてください

Mets tes livres dans ta serviette.

君の本をカバンに入れたまえ

mettreには、「ある場所へ、そこになかったものを持ってくる」という広い一般的な意味がある。

 

2 意味範囲の相違

cuireという動詞

「焼く、煮る」両方の意味がある

火や熱によって食べるにふさわしいものとすること

 

3 多義語について

転義が原義ととてつもなく離れてるような場合

grève

第1の意味

砂や砂利の浜、川岸

よく知ってる第2の意味は「ストライキ」

元々セーヌ河畔の広場にla place de Grèveというところがあって(今のplace de l'Hôtel de Ville)

そこに仕事のない労働者たちが集まり、そこからfaire grèveという表現が生まれて、第2の意味へとつながっていく

 

4 意味の場

prêter 貸す

emprunter 借りる

louer 貸す、借りる、両方の意味を持つ、そして常に金の支払いが伴っている。

 

5 色彩語について

英語圏では虹の色は何色かということが文化的に問題となっていないのに対し、日本語とフランス語の世界ではそれが問題とされていることを示しているばかりか、両方とも同じく七色であることを示している。

 

6 類義語について(Ⅰ)

étudierの方はどちらかというと、かなり努力を払って学ぶことで、「研究する」とか、「調べる」などのニュアンスがある時にはこの語を用いるようですし、

apprendreの方はétudierした結果覚えるとか、見たり、聞いたりしていつの間にか覚えていることのようです。

 

se souvenirはse souvenir de〜という形をとる。

意味は「おぼえている」に近い。

se rappelerの方はse rappeler〜と直接目的語をとる構文になる。

意味は「思い出す」に近い。

retenirは「記憶にとどめ置き、常に思い起こして忘れないこと」

 

7 類義語について(Ⅱ)

faireの方が ただ単に「何らかの行為をする」という意味なのに対し、

jouer àの方は「遊んで楽しむ」という意味であって、スポーツにもこのような概念が反映されているといえる。

 

8 反意語について

9 同音語について

どうして同音語などというものがあるのだろうか?

・元々語源的には違ったものだったのに、音声変化の結果、同じ音になってしまった場合

・語源的にも同じで、以前は一つの概念として捉えられ、せいぜい多義語であると考えてられていた一つの語が、時代と共に別の語と考えられるようになってきた場合

 

10 にせの友達

フランス語と英語の語形が同じか、あるいは非常に似ている場合に、その両者はよく「にせの友達」les faux amisと言われます。

なぜ、この「にせの友達」があるのか?

11世紀のノルマン人による英国の征服と、それに続く長期間にわたるフランス語・フランス文化の流入によることが多い。

フランス語は上流階級から入ったために、抽象語や文化・芸術・学問上の用語が非常に多くなっている。

現代英語におけるロマン系の語彙とゲルマン系の語彙との関係は、よく現代日本語における漢語と大和ことばの関係に比較される。

もちろんこのロマン系の語彙の中には、ラテン語から英語に直接入ったものもあります。

 

11 言語と現実界を結ぶことば

12 方向性を持つ動詞(Ⅰ)

フランス語allerでは出発点は省略できても、到達点を省略できないのに対し、日本語「行く」(英語goも)では出発点も到達点も省略できます。

これはつまり、日本語「行く」がある地点(話しているところを指すことが多い)を離れることだけに着目することが可能であるのに対し、フランス語ではどうしても到達点に向かう運動に着目することになることからくるのでしょう。

フランス語で出発点を離れるだけを示す場合には、partirやs’en allerを用います。

 

13 方向性を持つ動詞(Ⅱ)

「彼は私の方へ走ってくる」

日本語の補助動詞「いく」、「くる」には《移動》の他に、明確な《方向性》を示す意味の特徴があると言えます。

フランス語では方向の原点である話し手を表わすのに、代名詞の一人称を用いているのに対し、日本語では「〜てくる」という補助動詞によっている点です。

Apporte-moi l'encre, veux-tu?

ちょっとインク持ってきて

 

14 意味の文法(Ⅰ)

日本語の動詞「なく」の主語にはいろいろなものがくる可能性があります。人も動物も鳥も虫も皆「なき」ます。つまり、日本語では、ある種の声を発することを「なく」という動詞で一つのカテゴリーにまとめているのだと言うことができるでしょう。しかし、これはいわゆる大和ことばの話で、感情を使えば、このカテゴリーはさらには細かく分かれます。この場合にはその主語の種類が問題になります。

人は「泣く」ですし、

動物や虫は「鳴く」、

鳥は「鳴く」あるいは「啼く」

ということになります。日本語では、このような大和ことばで一度大きく範疇化を行ない、次にその下位区分を漢字で行っているという仕組みがかなり広い範囲で顕著に見られます。

 

15 意味の文法(Ⅱ)

magnifiqueは「素晴らしい」などと訳されるのが普通で、日本語だと、「とても素晴らしい」と言えるわけです。しかし、フランス語のmagnifiqueにtrèsをつけることはできません。これは、magnifiqueの意味の中には最上級の意味が含まれているからです。従って、trèsをはじめとして、程度を示す他の副詞をつけることはできませんし、また、比較級や最上級にすることもできません。

 

16 意味の文法(Ⅲ)

直接隠喩

La lune nous parle tendrememt. 月が私たちに優しく話しかける

ふつうparlerの主語には人がくるべきなのに、ここでは物をもってきている訳ですが、事実上の行為としても月は声を発しないので、この文は言語上と事実上で二重にくい違っていることになります。しかし、この表現によって月があたかも人のように私たちに話しかけてくるというイメージが浮かんできます。

間接隠喩

La lune se tait. 月は沈黙している

事実の上では、la luneは声を出さないのですから、この条件を満たしていると言えます。しかし se taireの主語は人でなければならないという言語上の規則があります。これは破られています。つまり、この文は一見事実にあっているようですが、言語的には意味規則を破っているというわけです。

これは押しつけがましくない、余韻のある印象を与えることになります。

 

17 文の構造と意味

18 文の焦点と主題

19 「談話」の重要さ

談話…文よりも大きな単位、たとえば、節、章、その言語作品全体を言うもの

 

20 フランス語と日本語の対照から

 

 

 

【新訳】フロンティヌス戦術書(本文、注)

 

凡例

固有名詞は、英訳読みを避け、当時のラテン語音に近そうなカタカナ読みを考えた。例えば「ジュリアス」「シーザー」ではなく「ユリウス」「カエサル」とする、等。ただし、もとより専門家の作業ではない。

(本文中にガイウス・カエサルと出てくる人は内容や年を考慮すると、どうやらユリウス・カエサルと思われます。アグリッパの息子のガイウス・カエサルとは違うような気がします。いわゆる有名なカエサルの本名はガイウス・ユリウス・カエサルですし)

 

ローブ文庫版の充実した脚注を見ると、フロンティヌスは、自身で参照しているはずの史料をそのまま述べず、話を無意識的にか意図的にか改変している場合も少なくないと知られる。

 

第Ⅰ部 指揮官としての用意周到たれ

原著者による第Ⅰ部のまえがき・抄

私は、過去に幾多の将軍たちが見せた素晴らしい手際を、なるだけ平易に略記し、状況別に整理した戦術事例集を、ここにまとめた。

ギリシャとローマの史家たちは、貴重で豊富な戦訓を我々に遺してくれている。

しかし困ったことに、現代ローマの公人は多事多忙だ。悠々とその全てを熟読して、軍隊司令官として有益な要素を抽出・玩味していられる時間を持てないのだ。

極力簡潔な手引書でなくば、急場の頼りとしては、間に合わないであろう。

 

Ⅰ-1-3

ラエリウスは細身の杖を振り上げて、奴隷を罰するようにスタトリウムを打ち据え、スパイの正体がバレるのを防いだという。

(平家物語の安宅の関を思い出す)

 

第Ⅱ部 野戦に臨んで知っておくべきこと

原著者による第Ⅱ部のまえがき・抄

この第Ⅱ部では、開始された戦闘中、および、敵部隊との交戦の直後に起こり得る状況と、その参考になる事例を列挙しよう。

Ⅱ-Ⅰ-6

ある日、イピクラテースは、軍隊の後をついてくる商売人たちの一群(英語で「キャンプ・フォロワーズ」と呼び、売春婦まで含む)に、 兵隊の格好させて芝刈りをやらせ、一方で本物の兵士たちは隠しておいた。

 

Ⅱ-Ⅰ-17

神に等しきウェスパシアヌス・アウグストゥスは、ユダヤ族が何の仕事もしてはいかんと決めている「安息日」を狙って攻めることで、彼らを征服した。[西暦70年]

※ フロンティヌスと同時代の話なので、現存の貴人をはばかり、大げさな賛辞が与えられている。ここに限らずフロンティヌスは、ローマの近過去の記述にはゴマすりにも見える現皇統への政治的な配慮を尽くし、かつまた 著名貴顕の不首尾の事例を述べる場合もいささかも嘲笑的に響かぬよう筆を抑制している。

(まあ大人の事情で仕方がないと思います)

 

Ⅱ-Ⅲ-6

※ クナクサ会戦の一次史料と言えるものは、当の傭兵部隊の中級幹部であったクセノポーンが著した『アナバシス(1万人の退却)しかない。クセノポーンは、ギリシャ傭兵隊は1人も負傷せずにペルシャの大軍を2度も壊乱させた、などと自慢している。しかしフロンティヌスは、そんなはずはなかったろうと疑って、彼の推理を展開している。

 

Ⅱ-Ⅲ-7

※ クラウゼヴィッツは『戦争論』の中で、(古代の戦史は現代の参考にはならない)と語っているけれども、さすがに『フロンティヌス戦術書』くらいは耳学問で知っていただろう。

 

Ⅱ-Ⅶ-1

※ 紀元前390年より古いローマ史の記録は、侵入してきたガリア人に焼き尽くされたため存在しないという。それを西暦1世紀にリウィウスが想像で補って国史を編んだ。

 

Ⅱ-Ⅶ-9

※ 西欧史家は、恥を知り名誉を重んずる「騎士道」精神は、古代ペルシャの騎兵の中でまず生じたエートスだった、と解している。

(今のイランにその影響は残っているのでしょうか?)

 

Ⅱ-Ⅷ-7

※ヌマンティアの戦いは、自由を求めたイベリア原住民を、スキピオが多重の壁と河流変更工事(人口沼)により兵糧攻めにして降した。スペイン人ならよく知っている歴史で、セルバンテスも戯曲を書いている。羽柴秀吉の備中高松城攻めも、あるいは原案はこの辺だったのかもしれない。

 

Ⅱ-Ⅷ-13

神君であらせられたユリウス・カエサルが率いたローマ軍の騎兵部隊が、スペイン南部のムンダでの激戦中、退却してきた。腹を立てたユリウスは、彼の乗馬を目にみえないところへ連れ去れと命じて、自らは一人、あたかも歩兵になったという体で大股で横隊の最前列へ歩いて行った。部下の騎兵たちは、指揮官を捨てて退却したことを恥じ、攻撃を再興した。[紀元前45年]

 

Ⅱ-Ⅷ-11

ガリア人の王コムミウスが、カエサルのローマ軍に敗れて、海峡対岸のブリテン島へ落ち延びようとした。海岸まで出たところ、風は絶好の追い風だったが、潮汐が思わしくない。そのためコムミウスの船体は河口沖の浅瀬に乗り上げてしまった。それでもコムミウスは展帆を命じた。

後方から迫ったカエサルは、帆柱が風に揺れているさまを遠望して、敵はもはや全速で遠ざかっているから、これから追いかけても補捉できず、ブリテン島に逃げ込まれてしまうだろうと判断して、追跡を諦めた。[紀元前57~前31年]

※ フロンティヌスは西暦75~78年にブリテンを統治していた間にこの面白い逸話を聞いて、作り話と知りつつ収載したのだろう。歴史家ジョン・クレイトンによれば、コムミウスはカエサルによってブリテン王に据えられたのだという。

 

第Ⅲ部 要塞攻防の着眼

原著者による第Ⅲ部のまえがき・抄

わたし(フロンティヌス) の考えでは、城塞の攻防に関する軍事技術は、今やもう発展の限度に達してしまっている。

 

Ⅲ-Ⅹ-7

※ 他の史家がローマの面白くない敗戦エピソードとして忘れようとする出来事を、フロンティヌスは特記して後輩への戒めにした。

 

 

【新訳】フロンティヌス戦術書(解題)

【新訳】フロンティヌス戦術書 表紙

[新訳]フロンティヌス戦術書

古代西洋の兵学を集成したローマ人の覇道

フロンティヌス 著

兵頭二十八 訳

PHP研究所 発行

2013年12月27日 第1版第1刷発行

 

古代ローマ水道橋について調べる過程でフロンティヌスを知ったのですが、 さらに硬骨の士である氏について知りたくなり、この本を手に取りました。

 

訳者による解題

本書は、帝政ローマ時代に生きたセクストゥス・ユリウス・フロンティヌス作の、日本ではまだ訳刊されたことがない古典軍事研究書『ストラテーゲマトーン』をハーバード大学出版部刊の「ローブ古典文庫」版のフロンティヌスの刊(初版1925年。1980年にリプリント)を頼りに著者が和訳と注解を試みて、即物的に『[新訳]フロンティヌス戦術書』と題して刊行するものです。

紙幅に制約があるため「第Ⅳ部」(これは後世の人の追加であろうといわれている)は割愛しました。

 

マキャベリやモンテスキューらも、その近代政治哲学に想到するに先立ち、ローマ時代の史書や軍学書を渉猟していました。その参考書中に『フロンティヌス戦術書』もあることは、注意深い読書人には周知です。しかるに、その和訳書はありませんでした。

 

フロンティヌスは「コンスル」というローマに特有な軍事行政司令長官の大権を、3度も帯びています。

 

研究家グンダーマンの推定では、『フロンティヌス戦術書』の第Ⅰ部から第Ⅲ部までは、ドミティアヌス帝(96年に暗殺されている)が83年にゲルマニアへ遠征して「ゲルマニクス」と尊称されるようになってから後、すなわち84年から96年までの間に書かれたのだろう、とのこと。

 

フロンティヌスは、過去のギリシャ・ローマの歴史家たちが書き残してくれている膨大な数の作戦例と、自らが体験したり見聞している近過去の実例を一つ一つ書き出して、それを

「合戦を始める前の注意」

「合戦開始後、および終了する際の注意」

「城市行為と籠城守備の際の注意」

の3つの「部」に分類。さらにその各部を数章に細分した戦例資料集をまとめました。

 

『フロンティヌス戦術書』の第Ⅳ部は「偽フロンティヌス」 (その正体は全く謎) が後年に追加したのだろうと考えられています。

 

「近代将棋」より 斎藤栄 作『小説天野宗歩』

川面に映る桜並木

近代将棋 四月号

昭和54年4月1日発行

編集兼発行人 永井英明

近代将棋社 発行

 

桜を見ていたら(しだれ桜ではありませんが)、昔読んだ、「近代将棋」に連載されていた、天野宗歩の小説の一場面を思い出しました。

 

小説天野宗歩 青嵐の棋客(第三回) 斎藤栄 作

 

尾張藩の名古屋城下にて

留次郎(後の宗歩)も、生まれて初めて見るしだれ桜の巨木に目を見張った。江戸には桜の名所が多いが、しだれにお目にかかる機会はなかった。

 

天保四年四月九日 上田頼母邸における、天野留次郎と勝浦利右衛門の対局

 

一呼吸、二呼吸…留次郎は、当然の同歩に、長い時間をかけた。その間に、勝浦利右衛門の勝ち気が火のように燃え上がって、盤上を覆うのを感じた。

彼は藩の面目にかけて、この一戦に勝とうとしている。そしてそのチャンスは、次の一手で到来するのだ。

留次郎は、左手で同歩と払った後、フト頼母の方を見て、

「おお、桜の花びらが、あのように…」

と言った。

頼母と勝浦は反射的に庭のしだれ桜の巨木を見た。一陣の強い風が、しだれた枝を揺り動かし、そこから紅の花びらが嵐となって散っていた。

「落花の舞とはあのことかな」

頼母は呟いた。全く見事な光景であった。

勝浦は再び盤面に目を落とした。そして懐紙の上から、一歩を取りあげると、1三歩と垂らした。

(…)

「うっ」

と呻くと、ぐらっと勝浦の上体が庭側の畳に崩れ落ちた。

「 勝浦、どうした?」

慌てた頼母の大声に、隣室から郎党が飛びこんで来た。

あまりの逆転負けに、勝浦の神経の糸がプツンと切れてしまったのである。彼は昏倒し、しばらくはそのまま起き上がれなかった。

庭園のしだれ桜は何事もなかったように桜吹雪を振り敷いていた。

(…)

「 それは違う。私はあのとき、わざと庭のしだれ桜のことを話題にした。相手は極度の緊張の中にいた。それを一瞬、私の言葉につられて視線を外らせたばかりに、矛先が鈍った。つまりは私の奇策のためにつまずいたのだ。それが1三歩の一手になった。あのままなら、当然1二歩、1三歩と連打する棋力の持ち主だった…」

 

どのくらい当時の史料が残っていたのか、また斎藤先生がどれだけ現地等の調査をしたのかはよく分かりません。 ただ将棋のアマ高段者でもある斎藤先生なら、対局日と棋譜があれば想像力だけでも、全てを書くことが出来たと思います。

棋譜を一通り並べてみて、1三歩のところで、「うん?」と思い、 その手を指すに至った状況を想像してみたのだと思われます。