
モンテーニュ 旅日記(上)
宮下志朗 訳
岩波書店 発行
岩波文庫 赤 509-7
2026年2月13日 第1刷発行
1580年、地元ボルドーで『エセー』初版を出したモンテーニュは、同年9月から1581年11月まで旅に出ます。
この上巻ではパリ近郊のボーモンからスイス、ドイツ、オーストリアを経由して、ヴェネチア、フィレンツェ、そして念願のローマでの出来事が書かれています。
200年後のゲーテのイタリア紀行に比べて、従者を連れていることもあり、宿屋なども結構いいところに泊まっているように思えます。さらに文章までかなりの部分従者に書かせているので、一見優雅に見えます。しかしその一方、腎臓の結石とかに苦しみ、石や砂を多量に出してるのには痛々しく感じます。
そういった健康状態にも関わらず、彼は好奇心旺盛に、色々な事物を観察し、様々な人達に会っているのには感服します。
凡例
本文にはフランス語で書かれた部分の他、イタリア語で書かれた部分がある。また、モンテーニュ自身が執筆した部分、秘書が執筆した部分がある。
モンテーニュが立ち寄った、あるいは宿泊した地名はゴチック体とした。
(段落も落としてくれているのでわかりやすいです)
貨幣換算表
当時のイタリアと、教皇領であるローマの貨幣の種類は異なる。
第一部
(モンテーニュの秘書によって書かれたパート)
Ⅰ ボーモンからプロンビエールへ
ドンレミ=シュル=ムーズ
ジャンヌ・デーあるいはダリスと呼ばれた、有名な「オルレアンの乙女」の生地である。
(訳注 もちろんジャンヌ・ダルクのこと)
Ⅱ プロンビエールからバーデンへ
ビュッサン
ちっぽけな寒村で、フランス語が話される最後の集落である。
(訳注 ロレーヌ公領の南東端にあたる)
ミュルーズ
スイスのバーゼル州の美しい小都市である。
(訳注 現在はフランスのオー=ラン県の工業都市)
バーゼル
フェリックス・プラッターという医者の珍しい家を見た。フランスのちょっと気取った絵が壁面にびっしりと描かれた、めったに見られない家だ。
(訳注 彼の父親は、羊飼いから身を起こして 教育者となり、ユニークな自伝『放浪学生プラッターの手記』を残したトマス・プラッターである)
(このブログにその本のメモを残しています)
これは市中のことで、城外は別なのだが、彼らの時計というのが、いつも本当の時間よりも1時間早い時を打つのだ。たとえば、10時を打てば、それはまだ9時ということなのである。彼らの話によると、昔、たまたま彼らの時計がそのようにまちがって鳴ったおかげで、町が攻撃から救われたことがあるからだという。
(訳注 モンテニューは「まちがって鳴った」と書いているが、実際は、戦術的にこのようにしたともいう。また「バーゼル公会議」の際に、長引く会議を終わらせるべく、このようにしたことが起源だともいう。)
モンテーニュ殿は、人々の答え方が違っていることから、奉じる宗教が異なっているのだなと判断された。とにかく、答えがまちまちで、ツウィングリ派という人たちもいれば、カルヴァン派だ、あるいはマルティン・ルター派だ、という人もいるといった具合である。また、心のなかでは、いまでもローマの宗教を抱いてる人がたくさんいることも教えられた。
この地域一帯には、数限りなく泉がある。どの村にも、どの四つ辻にも、必ず美しい泉があるのだ。バーゼルには、合計すると300以上もあるとのこと。
彼らは決してワインを水で割らないのだが、それはもっともかなと思う。ワインがとても軽口なので、われらがご主人さまたちが、かなりの水で割ったガスコーニュのワインより まだ弱いなどとおっしゃったほどである。それでも、けっこう繊細な味をしている。
彼らはザリガニを大変に珍重していて、いつも特別に蓋付きで出てくる。そして、お互いにどうぞと勧めあったりするが、これは他の料理ではしないことだ。
バーデン
バーデンのほとんどの人たちは、信仰心から、毎週水曜日には魚を食べるという返事だった。
(訳注 イエスが十字架に架けられた「聖金曜日」にちなんで、金曜日には肉食せず魚をという習慣は、カトリック諸国などに多いが、「水曜日には魚」という習慣については不明。)




