2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

エミリアのバジリカの廃墟(フォロ・ロマーノ)

この写真の場所は エミリアのバジリカと呼ばれる場所 紀元前179年に エミリア一族により造られる バジリカとは「会堂」という意味で 集会や商取引のための 大きな公共建築だった 火災に遭った後でさえも アウグストゥス帝の時代に 再建されたが 410年…

壮麗なアントニヌスとファウスティーナの神殿(ファロ・ロマーノ)

フォロ・ロマーノで 最も保存状態がいいかもしれない このアントニヌスとファウスティーナの神殿 妻を亡くして意気消沈の アントニヌス・ピウス帝 彼女の神格化のため 141年にこの神殿を建てた 11世紀にこの神殿は サン・ロレンツォ・イン・ミランダと…

迫りくるロムルスの神殿(フォロ・ロマーノ)

この迫力ある写真は ロムルスの神殿、と呼ばれる建物 マクセンティウス帝が幼くして死んだ 息子のロムルスに捧げたものだが 帝自身も完成途上で戦死したため 未完成に終わったと伝えられる 後年この神殿は 聖コスマと聖ダミアノ教会の 前室として利用された …

ローマ亡き後の地中海世界 上 二つの国境なき団体

第三章 二つの、国境なき団体 欧州地中海沿岸からアフリカ沿岸に拉致された人々を救った団体。 十字軍のように、歴史に名を残し、賞賛を得るようなことはなかったが、それでも軍事的後ろ盾もなく危険な地に通い続けた人々。 救出修道会。創立メンバーはプロ…

ローマ亡き後の地中海世界 上 第二章「聖戦」と「聖戦」の時代

10世紀、南イタリアでは確実にイスラム勢の浸透が進んでくる。 そんな中、北方のノルマン人がはるばる南イタリアにも進出してくる。 そして1086年シチリアが再びキリスト教徒の手に戻ってくる。 その後十字軍の時代となり、繰り返しパレスティーナ方面…

フォロロマーノへ降りてきたルート

フォロロマーノから見上げて ここまで降りてきた所を撮ります あるイラストマップによれば ティトゥスの凱旋門の前に 共和政時代の邸宅跡があったとしていましたが それは前の写真における凱旋門の前の遺跡か それともこの写真における手前の遺跡か よくわか…

101回目のミラノ~サンレモ

3月20日、サイクルロードレースのミラノ~サンレモを見る。 ミラノから、風光明媚な地中海沿いを通り、サンレモでゴールするレースである。 海沿いといっても、平坦でなく、いわゆるリアス式海岸のようになっており、結構上下の起伏がある。 ちょうど読…

ローマ亡き後の地中海世界 上 ある種の共生

第1章の壮絶な戦いの模様が終わった後、「間奏曲」(インテルメッツォ)として「ある種の共生」という章のようなものがある。 この「間奏曲」というのがクールでいいですね。 ここでは、シチリアでの、共生の在り方が語られる。戦いだけではなく、キリスト…

ローマ亡き後の地中海世界 上(第一章)

ローマ亡き後の地中海世界 上 塩野七生 著 新潮社 2008年12月20日 発行 人間ならば願うことというのは、正直に働けば報酬が入り、努力を支援する神々への信心であり、持っている資産を誰にも奪われないですむという安心感であり、一人ひとりの身の安…

ティトゥスの凱旋門について(ローマ)

前回の場所から振り返って ティトゥスの凱旋門だけを撮ります ティトゥスらのエルサレム征服は ダンテの「神曲」煉獄編第21歌にも出ています 「勇将ティトゥスが、 ユダに売られた[キリストが]血を流した あの傷手の讐を討った。」 (キリストの)讐(あだ…

2009年12月現在のフォロロマーノ(ローマ)

ティトゥスの凱旋門の方面から撮った フォロロマーノの全景です 工事中のような柵が見えますね この場所も発掘したり修繕したりで 現在進行形で刻々と、古代の姿を変えているようです

ティトゥスの凱旋門とコロッセオのツーショット(ローマ)

フォロ・ロマーノに降り立ち ティトゥスの凱旋門のそばに達する この凱旋門は 紀元70年の エルサレム征服を記念して建立された ちょうどこの写真では コロッセオとツーショットになっている 「よお兄弟、今日も観光客が沢山来ているな」 という遺跡同士の…

考古学博物館にて(フォロ・ロマーノ、ローマ)

パラティーノの丘から下りてきて かなりフォロ・ロマーノが近くなってきました 塔のある建物がサン・フランチェスコ・ロマーナ教会で その右に進んだところに 考古学博物館があり フォロ・ロマーノから発掘された 出土品を展示しているそうです フォロ・ロマ…

ローマの噴泉建築?(パラティーノの丘からフォロ・ロマーノへ)

パラティーノの丘から フォロ・ロマーノへの道すがらにあった 建物とちょっとした水辺 かなり草に覆われているけれど どうやら噴泉のようらしい このようなローマの噴泉建築を ニンフェウム(ニュンファエウム)と呼ぶ 噴泉を中心とした休憩・納涼用の建物で…

凱旋門とコロッセオなどなど(ローマ)

ファルネジアーニ庭園のテラスから 再び右側に目を転じると ティトゥスの凱旋門の向こうに コロッセオの威容が見えてきます コロッセオの姿を見ると ああやっぱりここはローマなんだと 改めて実感していきます

フォロ・ロマーノの眺め(ローマ)

さらに左に目を転ずると セヴェルスの凱旋門や 元老院議場であるクーリア そしてタブラリウムと呼ばれる 公文書館の遺跡が 見えてきます そのさらに向こうには ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂が 白さを際立たせて建ちつくしています

パラティーノの丘から見たフォロ・ロマーノ(ローマ)

パラティーノの丘のテラスから フォロ・ロマーノへの 視界を左に向けてみます アントニヌスとファウスティーナの神殿と ロムルスの神殿が並んでいます その手前には ヴェスタの巫女の家があり 白い巫女たちの像が 欠けつつけなげに立ってます

日本はギリシャに近いのか?

ヨーロッパのユーロ圏内でも、最近ギリシャなどPIIGSと総称される国々の財政破綻の危機がささやかれている昨今、日本も例外ではない。 しかし日本の場合国債は、銀行などの国内投資家などが保有しているので、大丈夫だという意見もある。 国債の大半が…

フォロ・ロマーノの眺め(ローマ)

ファルネジアーニ庭園を横切り フォロ・ロマーノを一望できる 展望台に達します ここから目立つ建物は マクセンティウス帝の 妙に巨大なバジリカか

貯水槽と地下通廊(パラティーノの丘・ローマ)

リヴィアの家のそばに、写真のような楕円形の遺跡がありました。 現地のガイドブックの内容から判断すると、貯水槽だったところのようですが、正確なところはわかりません。 そのすぐ向こう側には、写真ではわかりにくいですが、地下通廊の一部が残っていま…

囲われたリヴィアの家(パラティーノの丘・ローマ)

四角い建物は「リヴィアの家」と呼ばれる場所です。 リヴィアとは、ローマの初代皇帝、アウグストゥスの妻です。 彼女はここに、紀元29年、85歳まで過ごしたそうです。 この建物の外観は当時のものではなく、中の邸宅の遺跡を保護するために造られたもの…