5 ノーベルの遺産?
ヨータ・カナル(スウェーデン)
スウェーデンの「ブルーのリボン」と呼ばれるヨータ・カナルは、私の興味を引きつけずにはおかなかった。それはこの運河完成の時期が、大発明家アルフレッド・ノーべルの活躍した時代とオーバーラップし、この運河建設に、彼が何らかの役割を果たした可能性があるのではないか?ちょうど運河創成期のレオナルド・ダ・ヴィンチのように…。
これまでの運河とは違い、ヨータ・カナルを航行するには通行料がいる。
通行料が高いのは、この運河はヨータ・カナル・カンパニーという会社が経営しているからである。
ヨータ・カナルはその全てが人工的に造られた運河ではない。スウェーデン国内に点在する9万6000もの湖沼を利用して、それらを運河でつなぐようにルートが設定されている。
スウェーデンは酒飲みに実に冷たい国で、酒やビールは特別な店でしか手に入らず、税金も値段も高い。ドイツから車で来ると、タダ同然のビールが(筆者の偏見)デンマークに入ると倍くらいになり、スウェーデンに入るとさらにその2倍、禁止的価格となる。だからデンマークからスウェーデンに渡るフェリーの中は格好の免税酒場と化し、1日中酒をあおる酔っぱらいが目につく。北欧共通の悩み、長すぎる冬、長すぎる夜がアルコール依存症へと導くらしい。
ヨータ・カナルの橋は全て可動式である。その恩恵で、全長10mを越えるヨットでさえも、マストを立てたまま、運河の全行程を航行することができる。この可動式の橋を操作しているのがロックキーパーである。彼らは車で先回りして次々と橋を動かし、ロックを操作して船のサポートをしながら目的地まで行動を共にする。
真夜中近く、突然ヒューヒューという音とともに辺りが明るくなった。窓から外を見ると、町外れのあたりから次々にロケット弾がヴェッテルン湖に向かって発射されていた。スウェーデンを舐めてはいけない。この国は筋金入りの武装中立国なのだ。

6 ヨーロッパ最古の運河探検記
セーヌ川からロワール川へ(フランス)
ご家族ではなく「運河の旅人クラブ」での旅行
この旅行では〈ペニシェッテ〉と呼ばれるフランス独特の運河用チャーターボートを利用した。
セーヌ川は歴史上幾度となく氾濫し、人々に苦痛を味わわせてきた。その結果17世紀以降セーヌは徹底的に改修され、16の堰堤で流れがせき止められ、流量が調節された。各堰堤の脇には船が航行するための水門が造られ、ペニッシュと呼ばれる平底の運搬船が行き来するようになった。こうしてセーヌは完全に「運河化」されたのである。
ロワン川はヨンヌやオワーズと同じくセーヌの支流のひとつである。しかし先の2つの川に比べると川幅も狭く流れも緩いこの川が歴史的な注目を浴びたのは17世紀。フランスいやヨーロッパ初の分水嶺越え運河(当然世界最古である)が計画された時、セーヌ側の入り口として選ばれたのである。この川を遡り、分水嶺越えの運河がロワール河畔のブリアールに抜ける。すなわちセーヌとロワールの谷をつなぐ画期的運河計画が、当時フランスに滞在していたイタリアの天才、レオナルド・ダ・ヴィンチによってフランス国王、フランシス1世に進言された。彼は運河の切り札、二槽式閘門(水門、ロック)の考案者とも言われ、そのシステムを最大限に用いて この運河計画を作成したのだった。
1604年、ブルボン王朝最初の国王アンリ4世は、セーヌとロワールを結ぶ運河の着工を命じた。直ちに工事は開始されたが、
1610年に王が暗殺され計画は行き詰まった。
1638年になってやっと工事が再開され、
1642年、世界最初の分水嶺越え運河が完成したのである。
この運河の完成によって、運河輸送は新時代を迎えた。それまで灌漑や小舟が下るだけの機能しかなかった運河がついに分水嶺を越え、大河と大河が水路で結ばれる時代が始まった。近代的運河時代の幕開けである。計画を描き、ヨーロッパ内陸水路網にロマンを抱き続けたが、その実現手段を最後まで見出せなかったローマ人の夢が、ついにこの時実現したのである。
オルレアン運河はオルレアン公の命により1692年に完成し、ブージュからロワール河畔のオルレアンまで74kmを29のロックでつないでいたが、流量の安定しないロワール川の水路輸送が衰退した結果廃止される運命をたどった。
一方ブリアール運河は、その後ロワール川に沿って建設されたロワール側設運河とつながり、さらに中央運河か(カナル・デュ・サン卜ル)と結ばれて地中海への輸送ルートとして発展した。同時代に共に完成した運河でありながら、一方は打ち捨てられ、もう一方は現代まで生きながらえてプレジャーボートが走る。
7 東西の架け橋を旅する
エルベ川(旧東ドイツ、チェコスロバキア)
エルベは長い間「鉄のカーテン」の背後に隠され、運河としての水上輸送も完全に衰退してしまった。
ベルリンの壁崩壊後、45年ぶりに自由航行が可能な河川となった。
ここ数年のヨーロッパ、特に中欧では異常ともいえる暑い夏が続き、ことに水源に氷河を持たないエルベの流れは、90年以来異常渇水が恒常化していて、水路輸送に重大な影響が出ていると聞く。
インフレータブル・ボート
日本では通称ゴムボートと呼ばれているが、材質はゴムだけではなく、様々な素材を組み合わせて強靭性と軽量化が図られた表皮の中に、空気を入れて膨らませるボートで、ヨーロッパでは軍事用、救難用として多方面にわたって利用されている。また折りたたんだ状態での運搬の容易さと大きな浮力による安全性、走破性といった利点を用いて、驚くべきアドベンチャー・クルーズを実現している。
ハンブルクの港は北海に面しているとドイツでも信じてる人々がいるというが、実はハンブルクは内陸港であり、エルベに面した港なのである。
船外機、英語でアウトボード・エンジンという機械は、出力発生源とそれを伝えるギア、それに推進部分のプロペラまでが一体化されて、さらに上部に燃料タンクまでが着いている便利極まりない水上用エンジンで、これを手漕ぎボートに取り付けるだけでモーターボートに早変わりする。
この便利極まりない機械を考え出したのはアメリカ人エビンルード氏、恋人にアイスクリームを届けるのに、手で船を漕いでいては溶けてしまうので、こんな動力を発明したそうだ。
チェコに入るとエルベ川はラーベ川と名前が変わる。そして見事なばかりに堰堤と水門で運河化されているのである。ここでは水路は常に一定の水位に保たれ、活水の影響もない。チェコの河川改修が東ドイツより一歩進んでいたのである。

8 ヨーロッパをひとつに
ライン・マイン・ドナウ運河(ドイツ)
ラインを遡りドナウを下る。北海から黒海までヨーロッパ大陸4000キロを横断する運河の構想を最初に描いたのはローマ人だといわれている。
そして15世紀にイタリアで二槽式水門が考案され、ヨーロッパが運河黄金時代を迎えようとしていた17世紀になっても、ラインからドナウへのルートはつながることはなかった。しかし
1845年、バイエルンの王フリードリッヒ1世は、 ドナウの支流アルトミュール川とラインの支流マイン川を全長150キロの運河で結び、初めてラインとドナウが繋がった。この運河はフリードリッヒ運河と呼ばれ、当時の運河輸送に大いなる貢献を果たした。しかしこの運河には輸送量に限界があり、当時ヨーロッパの主流となっていた300トン級のパージに比べ、半分の大きさの船しか航行できなかった。結果輸送量は年とともに減少し、ついに
第二次世界大戦終結と同時に廃棄されてしまった。
約30年の年月と膨大な資金を投じて1992年9月25日、ついに運河は完成した。文字通り北海から黒海まで、ヨーロッパ大陸を横断する一大水路が実現したのである。
豊かな自然の中に巨大運河を通すとなれば環境破壊は否めず、環境保護を唱える様々な団体からの指摘で工事は遅れた。





