
日本とロシア 忘れられた交流史
シュラトフ・ヤロスラブ 著
柏書房 発行
2025年5月10日 第1刷発行
はじめに 日露関係の出発点――忘れられた交流、その多面性
著者の実証研究・教育現場・エッセイという3つの経験を活かしつつ、一般書として数百年にわたる日露交流を描くチャレンジは、著者にとって初めての試みです。
第1部 初めての対面から、正式な国交樹立まで
第1回 ロシアに渡った初の日本人――ニコラスの旅
ロシアに初めて入った日本人は、17世紀末にカムチャッカ半島に漂着し、ロシア人の探検隊に発見された伝兵衛という漂流民だったというのが通説。
しかし別の学説では、17世紀初頭ニコラスという日本人助修士がロシアに現れたというのもある。
この日本人は、日本がまだ海禁政策を取る前の時代、幼い頃に両親と一緒にフィリピンに移り住む。
1600年、カスピ海を渡り、ロシア南部の港アストラハンに入り、同年末にはついにモスクワに入る。
第2回 相互認識の起源――日本とロシア、それぞれのイメージ
ロシアで詳細な日本紹介を含んだ『宇宙誌1670』と呼ばれる書物が誕生した。
ロシアに関する情報がまばらに入るようになったのは、遅くとも17世紀初頭と考えられる。
神戸市立博物館の「泰西王侯騎馬図」。ロシア人(正確にはモスクワ大公)が最初に描かれた作品。
1609年にアムステルダムで出版された地図を参考にした。
第3回 漂流民と日本語学校――流れ着いた最初の使者、立川伝兵衛
前述した日本人ニコラスは、同時代のロシアではインド人などと記されていたため、伝兵衛こそはロシア側の公式記録に初めて日本人として現れた。
また伝兵衛は日本人初のロシア正教徒。
1736年、ロシア科学アカデミーにおいて日本語学校が新設され、ソーザとゴンザがその教師に任命された。それはヨーロッパ初の日本語教育機関。他の列強よりも遅れて日本と接触したロシアは、日本語教育では西洋で先頭に立った。
しかし1816年、日本語学校は経費の無駄を理由にイルクーツク総督府の嘆願で廃止された。
第4回 日本を目指すロシア人――「元文の黒船」事件
1739年 ロシアの探検隊の支隊は三陸海岸沖に到達した。ロシア人がオホーツク海岸にたどり着いた1639年から、ちょうど100年という節目だった。
第5回 ロシア脅威論の出現――ある冒険家をめぐるスキャンダル
冒険家ベニョフスキーの日本来航
第6回 外交の萌芽―― 蝦夷地での交渉と大黒屋光太夫の長い旅
第8回 すれ違う両国――江戸幕府の強硬姿勢、露米会社の太平洋進出
第9回 平民による、日本人初の世界一周――漂流民たちの数奇な運命
1803年、使節団と5人の日本人はサンクトペテルブルグ沖から世界中一周旅行に出かけた。
日本人にとってもロシア人にとっても初の世界一周だった。
コペンハーゲンに寄り、イギリス、アフリカ北岸のカナリア諸島、ブラジルのサンタカタリーナを訪れた。その後南米大陸最南端のホーン岬を回って太平洋に入り、マルキーズ諸島を経てハワイのサンドイッチ諸島、そしてカムチャッカへ向かった
(支倉常長や天正遣欧少年使節などはどうなるんだろう?あくまでヨーロッパとの往復という考えなのだろうか)
第10回 嵐の前夜――矛盾に満ちたレザノフの肖像
日本ではレザノフについて、長崎滞在中の辛抱強い交渉と紳士的な態度を評価する声がある一方、日本人への襲撃を立案したとして好意的ではない見方をされることも多い。
1981年、ソ連でロックオペラが上映されたことにより、ロシア人にとってレザノフは、ロマンチックな恋物語のヒーローであり、大衆的な人気を博している。
第11回 初めての衝突――「文化露寇事件」がもたらした波紋
第12回 ゴロヴニン捕囚事件――「裏切り湾」、地名に刻まれた記憶
第13回 捕虜をめぐる駆け引き――ロシア研究、日本研究の進展
第14回 高田屋嘉兵衛の外交――「民間人」がもたらした平和的決着
第15回 日本の「ボロジノ」――「大東諸島」につけられた別名の謎
大東諸島につけられた名前「ボロジノ」は1812年露仏の戦いの場の一つになったボロジノ村にちなむ。
第16回 日本開国前夜の極東政策――激化する東アジアをめぐる列強間競争
第17回 開国を迫るロシア――アメリカとの競争
第18回 長崎での開国交渉――第一ラウンド閉幕
第19回 日露国交樹立――親密な条約、プチャーチンの手腕