海のロシア史(前半)

海のロシア史 表紙

海のロシア史

ユーラシア帝国の海運と世界経済

左近幸村 著

名古屋大学出版会 発行

2020年12月10日 初版第1刷発行

 

序章 ロシア帝国と近代世界

一 本書の背景

本書はオデッサウラジオストクを結んだロシア義勇艦隊に着目する。

この船団は、1877-78年の露土戦争の戦後処理をきっかけに設立され、ロシア革命後の内戦期に分裂、消滅する。

 

二 ロシアとアジア

ロシア義勇艦隊については、『ウラジオストク物語 ロシアとアジアが交わる街』での言及が、ロシア語史料に基づく日本でほとんど唯一の、信頼に足りうる記述だった。

 

三 海運を通して見るロシア帝国

本書は、ロシア帝国にとって海というのは障壁ではなく、統合と拡張のための重要な領域だったという観点にたっている。

西のバルト海、南の黒海、東の日本海(太平洋)という図式は海域の研究にも有効である。

 

四 義勇艦隊に関する先行研究と史料、本書の構成

ロシアが東と西の航路を開拓するのが可能になったのも、スエズ運河が1869年に開通したからである。

 

第Ⅰ部 地域 ロシア極東の近代

第1章 帝政期ロシア極東の農業と移民

一 19世紀ロシア極東統治の概要

二 1895年の調査に見る、沿海州アムール州の比較

三 日露戦争後の方針転換

日露戦争での敗北により、ロシアがそれまでの東アジアへの進出を見直し、ロシア極東での支配権を固めることに力を注ぐようになった。

日露戦争後の極東の情勢を踏まえ、ロシア政府が進めたのがアムール鉄道建設である。

日露戦争中にシベリア鉄道は全線開通したものの、清の領内である満州を突っ切る形になっていた。これが中東(東清)鉄道である。

シベリア鉄道全線をロシア領内で走らせることに決定し、アムール川の北岸を通るアムール鉄道の建設を始めた。

 

四 日露戦争後のロシア極東の農村

 

第2章 無関税港制に見るロシア極東の変容

ウラジオストクは19世紀は軍事的拠点だったが、20世紀になると経済的拠点を目指すようになった。

一 無関税港制と自由港制

二 19世紀後半のウラジオストク

1894年にウラジオストクを訪れたイザベラ・バードは、「陸軍と海軍を取ったら、あとは何も残らない」と述べている。

 

三 1901年の無関税港制廃止

四 日露戦争後のウラジオストク

日露戦争後、ウラジオストクへの来航数が大きく伸びた

シベリア鉄道の完成により、多くの移民が沿海州に押し寄せて物資の需要が増加した。

 

第3章 茶が結んだロシアとアジア

1890年から日本はロシア市場に対して本格的なたん茶の売り込みを行ったが、失敗に終わった。

一 19世紀後半の中国茶の種類

二 義勇艦隊就航までのロシアと茶

三 イギリスの中国茶市場からの撤退と義勇艦隊の周航

四 ロシア国内における需要の喚起

茶があまり普及しなかった地域のうち、沿バルト、ポーランドクリミア半島(なかでもクリミア・タタール人の間)ではコーヒーが好まれた。

 

補論1 アムール川黒龍江)とスンガリ川(松花江)をめぐる露中関係

一 ロシア帝国のスウガリ川への進出 日露戦争前の状況

二 中国のアムール川への進出 日露戦争後の状況