
フランス語を考える20章
泉邦寿 著
白水社 発行
1978年7月20日 第1刷発行
1994年1月15日 第4刷発行
もともと、雑誌『ふらんす』に1974年4月から1976年3月まで2年間にわたって連載したもののうち、特に意味論に関連の深いものを集め、それにあらたに7章を書き足し、さらに大幅に手を入れた本です。
1 単語の意味
mettreという動詞
Je mets ma veste.
Je mets mon pantalon.
Je mets mes lunettes.
Je mets mon chapeau.
Je mets mes gants.
「(私は)上着を着る」「ズボンをはく」「メガネをかける」「帽子をかぶる」「手袋をはめる」
Mettez ce sac sur la chaise.
この袋を椅子の上に置いてください
Mets tes livres dans ta serviette.
君の本をカバンに入れたまえ
mettreには、「ある場所へ、そこになかったものを持ってくる」という広い一般的な意味がある。
2 意味範囲の相違
cuireという動詞
「焼く、煮る」両方の意味がある
火や熱によって食べるにふさわしいものとすること
3 多義語について
転義が原義ととてつもなく離れてるような場合
grève
第1の意味
砂や砂利の浜、川岸
よく知ってる第2の意味は「ストライキ」
元々セーヌ河畔の広場にla place de Grèveというところがあって(今のplace de l'Hôtel de Ville)
そこに仕事のない労働者たちが集まり、そこからfaire grèveという表現が生まれて、第2の意味へとつながっていく
4 意味の場
prêter 貸す
emprunter 借りる
louer 貸す、借りる、両方の意味を持つ、そして常に金の支払いが伴っている。
5 色彩語について
英語圏では虹の色は何色かということが文化的に問題となっていないのに対し、日本語とフランス語の世界ではそれが問題とされていることを示しているばかりか、両方とも同じく七色であることを示している。
6 類義語について(Ⅰ)
étudierの方はどちらかというと、かなり努力を払って学ぶことで、「研究する」とか、「調べる」などのニュアンスがある時にはこの語を用いるようですし、
apprendreの方はétudierした結果覚えるとか、見たり、聞いたりしていつの間にか覚えていることのようです。
se souvenirはse souvenir de〜という形をとる。
意味は「おぼえている」に近い。
se rappelerの方はse rappeler〜と直接目的語をとる構文になる。
意味は「思い出す」に近い。
retenirは「記憶にとどめ置き、常に思い起こして忘れないこと」
7 類義語について(Ⅱ)
faireの方が ただ単に「何らかの行為をする」という意味なのに対し、
jouer àの方は「遊んで楽しむ」という意味であって、スポーツにもこのような概念が反映されているといえる。
8 反意語について
9 同音語について
どうして同音語などというものがあるのだろうか?
・元々語源的には違ったものだったのに、音声変化の結果、同じ音になってしまった場合
・語源的にも同じで、以前は一つの概念として捉えられ、せいぜい多義語であると考えてられていた一つの語が、時代と共に別の語と考えられるようになってきた場合
10 にせの友達
フランス語と英語の語形が同じか、あるいは非常に似ている場合に、その両者はよく「にせの友達」les faux amisと言われます。
なぜ、この「にせの友達」があるのか?
11世紀のノルマン人による英国の征服と、それに続く長期間にわたるフランス語・フランス文化の流入によることが多い。
フランス語は上流階級から入ったために、抽象語や文化・芸術・学問上の用語が非常に多くなっている。
現代英語におけるロマン系の語彙とゲルマン系の語彙との関係は、よく現代日本語における漢語と大和ことばの関係に比較される。
もちろんこのロマン系の語彙の中には、ラテン語から英語に直接入ったものもあります。
11 言語と現実界を結ぶことば
12 方向性を持つ動詞(Ⅰ)
フランス語allerでは出発点は省略できても、到達点を省略できないのに対し、日本語「行く」(英語goも)では出発点も到達点も省略できます。
これはつまり、日本語「行く」がある地点(話しているところを指すことが多い)を離れることだけに着目することが可能であるのに対し、フランス語ではどうしても到達点に向かう運動に着目することになることからくるのでしょう。
フランス語で出発点を離れるだけを示す場合には、partirやs’en allerを用います。
13 方向性を持つ動詞(Ⅱ)
「彼は私の方へ走ってくる」
日本語の補助動詞「いく」、「くる」には《移動》の他に、明確な《方向性》を示す意味の特徴があると言えます。
フランス語では方向の原点である話し手を表わすのに、代名詞の一人称を用いているのに対し、日本語では「〜てくる」という補助動詞によっている点です。
Apporte-moi l'encre, veux-tu?
ちょっとインク持ってきて
14 意味の文法(Ⅰ)
日本語の動詞「なく」の主語にはいろいろなものがくる可能性があります。人も動物も鳥も虫も皆「なき」ます。つまり、日本語では、ある種の声を発することを「なく」という動詞で一つのカテゴリーにまとめているのだと言うことができるでしょう。しかし、これはいわゆる大和ことばの話で、感情を使えば、このカテゴリーはさらには細かく分かれます。この場合にはその主語の種類が問題になります。
人は「泣く」ですし、
動物や虫は「鳴く」、
鳥は「鳴く」あるいは「啼く」
ということになります。日本語では、このような大和ことばで一度大きく範疇化を行ない、次にその下位区分を漢字で行っているという仕組みがかなり広い範囲で顕著に見られます。
15 意味の文法(Ⅱ)
magnifiqueは「素晴らしい」などと訳されるのが普通で、日本語だと、「とても素晴らしい」と言えるわけです。しかし、フランス語のmagnifiqueにtrèsをつけることはできません。これは、magnifiqueの意味の中には最上級の意味が含まれているからです。従って、trèsをはじめとして、程度を示す他の副詞をつけることはできませんし、また、比較級や最上級にすることもできません。
16 意味の文法(Ⅲ)
直接隠喩
La lune nous parle tendrememt. 月が私たちに優しく話しかける
ふつうparlerの主語には人がくるべきなのに、ここでは物をもってきている訳ですが、事実上の行為としても月は声を発しないので、この文は言語上と事実上で二重にくい違っていることになります。しかし、この表現によって月があたかも人のように私たちに話しかけてくるというイメージが浮かんできます。
間接隠喩
La lune se tait. 月は沈黙している
事実の上では、la luneは声を出さないのですから、この条件を満たしていると言えます。しかし se taireの主語は人でなければならないという言語上の規則があります。これは破られています。つまり、この文は一見事実にあっているようですが、言語的には意味規則を破っているというわけです。
これは押しつけがましくない、余韻のある印象を与えることになります。
17 文の構造と意味
18 文の焦点と主題
19 「談話」の重要さ
談話…文よりも大きな単位、たとえば、節、章、その言語作品全体を言うもの
20 フランス語と日本語の対照から