モンテーニュ 旅日記(上)(ローマ)

Ⅶ ローマ滞在(一)

ローマにはフランス人がたくさんいて、通りでは必ずだれかがフランス語で挨拶してくるといった有様なので、モンテーニュ殿はごきげんななめであった。

 

クリスマスの日、われわれは教皇[グレゴリウス13世] のミサを聴きにサン・ピエトロ大聖堂に赴いた。

12月29日モンテーニュ殿は教皇のおみ足に接吻することができた。

 

謝肉の木曜日[2月9日]、殿はサンタンジェロ長官の宴会にお出になった。

(訳注 前出、教皇の息子ヤーコボ・ブオンコンパーニのこと)

 

第二部

(モンテーニュがフランス語で書いたパート)

Ⅷ ローマ滞在(二)

ローマには、個別の信心会や兄弟会がたくさんあって、そこでは信仰心の大いなる証しが発揮されている。とはいえ、わたしには、民衆はフランスの諸都市ほど信心深くはなくて、むしろ、ひどく形式にこだわってるように思える。なにしろ、こうした点で極端なのだ。わたしはここで思うところを自由に書かせてもらい、実例を挙げたい。某氏が娼婦とベッドに入って、思う存分に行為を楽しんでいると24時となって、「アヴェ・マリア」の鐘が鳴り始めた。すると女は、いきなりベッドから飛び出してひざまずき、お祈りを唱え始めたという。

 

モスクワの皇帝[イヴァン雷帝] の大使も、この日の参詣に来ていた。

今回の大使の使命は、ポーランド王がモスクワの皇帝に仕掛けている戦争の仲裁を教皇に働きかけることだといわれていた。

 

ヴァティカンの図書室を見に行った。

支那の本が1冊、粗野な文字、紙はわれわれのよりもはるかに柔らかくて、透けて見えそうだ。インクが滲んでしまうから、紙葉の片面にしか書かれていない。

 

何人かのポルトガル人は、われわれと同様の結婚の式典にしたがって、なんと男同士でミサに臨んで結婚し、 聖体拝領をおこない、結婚を誓って 福音書の一節を朗読し、その後、同棲したのだという。

この大した宗派に属するポルトガル人は、8人か 9人が火刑に処させられた。

 

イエズス会がキリスト教の世界でいかに重きをなしていることか、驚くばかりである。

 

このところ聖骸布が公開されている。

(訳注 聖女ヴェロニカが、ゴルゴダの丘に向かうキリストの顔の汗をぬぐうと、その顔が写って残ったとされる布のこと)

 

ローマ市民という称号を得るモンテーニュさん。

これは空しい肩書きでもある。が、とにかく、私はこれを賜って、非常にうれしかった。

(訳注 1560年から1608年までの間に、「ローマ市民」という名誉称号は1104人に付与されているから、年に23件ほどになる。

ミケランジェロやティツィアーノなど、芸術家の例もある。

この前後を見渡しても、フランス人はモンテーニュだけであって、異例の厚遇 といえる。

天正遣欧少年使節の4人もローマ市民権を授与されている)