少女はなぜフランスを救えたのか ジャンヌ・ダルクのオルレアン解放

少女はなぜフランスを救えたのか ジャンヌ・ダルクのオルレアン解放 表紙

世界史のリテラシー

少女は、なぜフランスを救えたのか

ジャンヌ・ダルクのオルレアン解放

池上俊一 著

NHK出版 発行

2023年6月15日 第1刷発行

 

はじめに 

ジャンヌについては詳細な史料(裁判記録)が遺されており、それ自体ごくまれな、珍しいこと。

・1431年の処刑裁判

・1456年の復権裁判

 

第一章 事件の全容

ジャンヌ・ダルクはいかにしてオルレアンを解放したか

オルレアン入城において、オルレアン市民は天佑とも言える救いに大いに高揚した。

 

ランスでの戴冠式では、聖香油を新王の身体に塗る儀式こそが不可欠だった。

 

第二章 歴史的・宗教的背景

なぜ「辺境の乙女」にカリスマが与えられたのか?

強い信仰心で、知識や身分地位とは別のところから不思議な力を得た。

 

神の声=啓示は、彼女の短い人生の大きな分岐点になった。

 

大シスマ教会大分裂

ローマとアヴィニョン教皇が並立し、カトリック教会が分裂した状態

ピサ公会議でも教皇が選出されて三名の教皇が存在することにもなった。

 

なぜジャンヌは、男の服を着続けたのか?

男装をすることで、彼女は農民少女の身分を超え、かつ「乙女」でもあるという、世界で唯一無二の存在、まさに天使のような超自然的存在になった。

 

二年もの間、ジャンヌが多くの人を突き動かすことができた理由

・女性宗教者

・(女性)預言者

・自然の超自然力

・騎士道文化

 

第三章 同時代へのインパク

ジャンヌの奇跡は時の権力者たちに言い知れぬ「動揺」を与えた。

敵のイギリス人とブルゴーニュ派にとっては、ジャンヌは聖女どころか、悪の世界の代表者であった。

 

表向きの「異端裁判」、その内実は「政治裁判」そのものだった。

 

第四章 後世に与えた影響

政治、宗教、文学、芸術。フランス国民の記憶に深く刻み込まれた理由

十八世紀の啓蒙時代には、反ジャンヌの雰囲気が高まった。

当時の知識人はこぞって王政や教会に不満で、理性は「声」を信じなかった。

 

十九世紀はジャンヌの時代

ミシュレの伝記、裁判記録の出版、ジャンヌ研究が躍進

 

ジャンヌは

・共和主義者にとっては、国王に見捨てられ教会に殺された者

カトリック勢力にとっては、宗教的信念に殉じた者として

・王党派にとっては、フランス国王のために身を捧げた者として

 

サラ・ベルナールにとって、ジャンヌが「連帯」の象徴になる。

 

1920年5月16日、「聖女」として列聖

 

おわりに

フランス・ナショナリスト=アルマニャック派的解釈

「国家を開く」実験=ブルゴーニュイデオロギー

 

ジャンヌの「仲間たち」

・草の根ナショナリズム(というより郷土愛)

・女たちの友愛の輪

 

ジャンヌの「私生児説」

実はシャルル六世の王妃イザボーと王弟オルレアン公との不義の子?

出所の怪しい言い伝え、出来事の内情に対する憶測につぐ憶測、史料の空白・不明点での創作的説明で、トンデモ説と言っていい。