ローマへ続く真直ぐな道

ブラタモリ 水の都ローマ より

NHKのブラタモリ。 新春ということでか?でローマまで飛んでいっていました。 前回のローマの道に続き、今回はローマの水。 自分がひそかに期待していた内容でした。 というのも、最初にローマ郊外の水道橋公園から始まったからです。 自分がローマに行った…

バチカンとローマ、深刻な干ばつで噴水を停止

【7月26日 AFP】イタリアで干ばつが長引き、ローマ法王庁(バチカン)は25日、サンピエトロ広場(Saint Peter's Square)の由緒ある噴水を止めた。ローマ(Roma)では、水の噴き出し口が長くカーブを描いて「ビッグノーズ(高い鼻)」と呼ばれる約300の噴水…

ローマ市長に逆風

ここに来て早くも、ローマ市長に対する批判的な日本語の記事が出てきました。イタリアの地方自治体の場合、市長を支持するグループが議会でも多数派に成れるので、東京都の知事のような苦労はないはずなのですが、それでも早々にこういう記事が出てしまうの…

ローマに初の女性市長誕生へ、五つ星運動のラッジ氏勝利

【6月20日 AFP】(更新、写真追加)イタリアで19日、地方選挙の決選投票が行われ、首都ローマ(Rome)市長選では即日開票の結果、新興政党「五つ星運動(M5S)」のビルジニア・ラッジ(Virginia Raggi)氏(37)が当選を確実にした。ローマ初の女性市長が誕…

ローマに女性市長誕生!

これは凄いですね(^_^) 老いた貴婦人であるローマを37歳の若き女性が統治するのですから画期的なことです。 一方レンツィさんは苦しいなぁ… 期待外れになりつつあるのかなあ…(‥;)

フリスビーで遊ぶローマの修道士

修道士さんもワインやシャンパンやビール造って嗜んでおられたので、フリスビーくらいは問題ないですよね。 そういえば、あらためて修道士さんの服装に目がいったのですが、基本的には宗派によって違います。 まずこの二人、服の色が違うことから、異なる宗…

コロッセオの大規模改修が進行中、イタリアのローマ

コロッセオいつもと違う表情ですね。 ぱっと見、ストラスブールの欧州議会の建物を思い出してしまいました。

ベネチア映画祭、地元イタリアのドキュメンタリーに金獅子賞

このような地味なドキュメンタリー作品が賞を取るのはなんだか嬉しくなってしまいます。 どのような手法で撮った映画なのか興味深いですね。機会があれば見てみたいです。 ローマの環状道路はよくわからないのですが、ローマ市内から車で空港まで行ったとき…

新ローマ法王、コロッセオで「聖金曜日」の儀式を主宰

コロッセオというとローマ帝国時代の派手な闘技ショーのイメージが強いのですが、その一方で多くのキリスト教信者が殉教した場所でもあります。 内部に入ると、大きな十字架が掲げられていたのを思い出します。 この儀式は殉教者のためのものだと思います。…

イタリアの政治家を無理やり日本にたとえてみる

イタリアの政治家を無理やり日本の政治関係者に置き換えてみると ベルルスコーニ氏 =ナベツネ氏+小沢氏+東国原氏+石原氏 ナベツネさんはメディアや人気チームの支配者ということで 小沢さんと東国原さんについては省略します(笑) 石原さんとは同じ「暴…

バチカンの枢機卿会議に偽者が侵入を試みる

このニュース、失礼ながら笑ってしまいました。 偽のコンクラーベのポスターが貼られたり、偽の聖職者が潜入試みたりと、どうも落ち着きないですね。 現在イタリアは政治の状況も不安定なので、バチカンもその影響を受けているのでしょうか。 亡くなられた米…

泣くなイタリア(ユーロ決勝)

ユーロ決勝、朝4時に早起きして見る。 イタリア対スペインなら、このブログを見ての通りイタリアを応援する。 しかし前半早々、スペインの華麗なゴールを決められ、更にもう一点で二点先行。 後半イタリアに退場者があったりして、最終的には4点とられて負…

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の内部(ローマ)

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の内部に入ります。 このときは内部は薄暗かったです。 内装も豪華ですね。 天井はジュリアーノ・ダ・サンガッロの作品で、アメリカから最初に運ばれた金で飾られているそうです。 主祭壇はこの写真のような巨大な天蓋が…

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のファサード(ローマ)

テルミニ駅の手前にある地下鉄のヴィットリオ・エマヌエーレ駅で降ります。 このあたりだとアジア系やアフリカ系の人々をよく見かけました。 イタリアという感じがあまりしないのが残念です。 そんな中、このサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂がしっかり…

アッピア街道からテルミニ駅へ(ローマ)

アッピア街道をずっと戻っていきます。 カポ・ディ・ボヴェの辺りの三差路に、地下鉄の駅へ通ずるバス停がありました。 一日歩きっぱなしだったので、座れそうな所に無理やり座って待っていました。 まもなくやってきた660番のバスに乗り込みます。 そして…

ガタガタなアッピア街道(ローマ)

アッピア街道の敷石が大きいものと小さいものがありましたが、どっちが古代の姿なのでしょうか? それは大きい方なのです。 現在、当時の石がどの程度残っているのかはわかりませんが、それでもその大きさにより、古の雰囲気を残してくれています。 大きい…

糸杉とローマの松のトンネル(アッピア街道)

ずっと歩いてきたアッピア街道を 逆戻りしていきます ローマの松と糸杉が 緑のトンネルを形づくって 旅人を吸いこんでいきます

アッピア街道をUターン(ローマ)

右向いて左向いてまた右向いて 何度も注意深く車の流れを見て なんとかアッピア街道を横切る幹線道路を渡ると、さらに写真のように街道が続いていきます。 「ローマ人の物語」によれば、アッピア街道に子どもの遊園地的に手を加えた、と書いてありましたが…

アッピア街道が一旦切れている場所(ローマ)

アッピア街道をどこまで歩こうかと思った時、「ローマ人の物語」で書かれている、街道が一旦切れている部分まではなんとか行こうと思いました。 それがこの写真の場所です。 「ローマ人の物語」によると 第二次世界大戦後に環状道路をめぐらせる際、アッピ…

装飾花づなの墓(アッピア街道、ローマ)

このモニュメントは「装飾花づなの墓」と呼ばれるものです。 左側に四人の肖像が彫られており、大きな塔とセットになっているようです。 別の角度から写真を撮ります。 黒い服を着た人が冬のアッピア街道に妙に似合います。

ラビリイの墓(アッピア街道、ローマ)

この墓は「ラビリイの墓」と呼ばれるモニュメントです。 半身像は、解放奴隷のラビリイさん夫妻と、イシス神殿の巫女長のウシアさん、とのことです。 どういう経緯でご夫妻だけでなく巫女長も半身像に収まることになったのかはわかりません。 ある種の権威…

真直ぐなアッピア街道(ローマ)

ただただ続くアッピア街道 真直ぐな道を 真直ぐに行こうとしても いつの間にか 寄り道したり 逆戻りしたりして くねくねくねくね 無駄足ばかりの 長い長い 果てしない道

ヒラリウス・フスクスの墓(アッピア街道、ローマ)

さらにアッピア街道を歩いていくと、五人の人物のレリーフがある墓がありました。 これは「ヒラリウス・フスクスの墓」と呼ばれているものです。 一族の皆さんが同じようなポーズで揃っていますね。

シクストゥス・ポンペイウスの墓(アッピア街道、ローマ)

このモニュメントはシクストゥス・ポンペイウス一族の墓です。 中央のプレートに何か文字が描かれているようですが、おそらく一族に関する説明のようなものでしょう(全くの推測ですが・・・)。 こういった墓碑のメッセージには、このアッピア街道を通る人…

アッピア街道の円墳(ローマ)

「英雄のレリーフ」から更に歩いていきます。 上の写真のようなモニュメントがありましたが、どのようなものかはよくわかりません。 上部に少し装飾が残っていますね。 更に進むと、巨大な円墳のようなものが見えてきます。 そばに近寄ってみます。 よくみ…

英雄のレリーフ(アッピア街道、ローマ)

このアッピア街道の両側には、様々な彫像やモニュメントがあります。 それらの大半は墓といわれています。 その内、少なくとも彫像はレプリカのようです。野外での保存はさすがに難しいのでしょうね。 この写真の彫像は「英雄のレリーフ」と呼ばれるもので…

当時のアッピア街道に一番近い状態?(ローマ)

もともとアッピア街道は、紀元前4世紀、当時の財務官であったアッピウスによって造られた「完全舗装道路」でした。 その平坦度を確かめるために、サンダルを脱いで素足で歩いてみたそうです。 現在ではどこもデコボコなのですが、この写真を撮ったところは…

アッピア街道の大きな水たまり(ローマ)

カポ・ディ・ボヴェ(牛頭)荘から、再びアッピア街道に戻ります。 ちょうど写真のところでも、敷石の大きさがかわっています。 その間だからか、あるいは工事でもしていたかで、ちょうど大きな水たまりになってしまっていました。 さすがにここは歩けませ…

カポ・ディ・ボヴェ荘の名前の由来(アッピア街道沿い、ローマ)

前回写真を撮った場所から、経路を直角に曲がり、改めて写真を撮ります。 中世になり、1302年、このあたりはフランチェスコ・カエターニ枢機卿が所有するようになります。 彼は教皇ボニファティウス(ボニファス)8世の甥にあたります。その恩恵を受け…

カポ・ディ・ボーヴェ(牛頭)荘の遺跡(アッピア街道沿い、ローマ)

この遺跡は、2世紀半ばの私的な浴場施設とのことです。 モザイクの床などが残っていますね。 個人でもこれだけの浴場が持てることから、裕福さが伺えます。 当時この一帯は、ヘロディアス・アッティクスという知識人により所有されていました。 彼は元老院…