燃やされた中世写本 破壊と継承の歴史(~第九章)

燃やされた中世写本 破壊と継承の歴史 表紙

燃やされた中世写本

破壊と継承の歴史

ロバート・バー卜レッ卜 著

大津祥子 訳 

青土社 発行

2026年 2月27日 第1刷発行

 

この本では、中世写本が火事や洪水といった不慮の災難ではなく、人為的な破壊、放火や砲撃、爆撃によって 1日して大量に破壊された事例を掘り下げています。

 

第一章 過去についての私たちの知識

古代メソポタミアの文書は粘土板に記され、火で焼かれた場合はさらに長持ちし、特に乾燥した気候において優れた耐久性を発揮した。

 

聖書(バイブル)という語は「パピルス」を意味するギリシャ語に由来する。

 

第二章 図書館と文書館

 

第三章 何が失われたのか

ビザンツ帝国では膨大な量の文書が作成されながらも失われてしまったと結論付けることができる。消失の理由としては、1453年のオスマン帝国による征服後にビザンツ帝国が破壊されたことも挙げられる。ビザンツ帝国であればこうした文書の保護と保管に関心があっただろうが、オスマン帝国はそうではなかった。征服は、特にこの例のように言語と宗教の変化が伴う場合は、往々にして記録文書が失われる原因となる。文書は破壊されなかったとしても顧みられなくなるからだ。

 

第四章 ベーオウルフ、危機一髪

 

第五章 「書記たちの学識など消え去ってしまえ!」

 

第六章 ストラスブール、 1870年8月24日 『悦楽の園』

ストラスブールは1870年8月15日から9月27日までドイツ軍に包囲されて砲撃を受けた。

8月24日には図書館も激しい砲撃を受け、中世写本の『悦楽の園』も燃やされた。

しかし同書の内容が永遠に姿を消すことにはならなかった。それ以前に数世代にわたる学者たちの尽力があり、同書についての記述と、挿絵の描き写しが行われていたからだ。

 

1870~1年の普仏戦争までは、ストラスブールはほぼ200年にわたってフランスの一部だったが、ドイツ時代の痕跡が多く残っていた。1681年にフランスに併合された際に、フランスの他の地域にはない複数の特権を与えられ、なかでも特筆すべきはプロテスタント信仰を抑圧されない権利だった。それでもドイツ語は同市で日常的に話される言語だった。ストラスブールとアルザス地方全体における言語の二重性は、『悦楽の園』の研究に従事した19世紀の学者たちによく表われている。フランス支配下でス卜ラスブールに住んでいたエンゲルハルトはドイツ語で執筆し、ドイツ支配下でシュトラースブルクに住んでいたストローブとケラーはフランス語で執筆した。

(アルザス語はどうだったのだろう)

 

第七章 ダブリン、1922年6月30日 アイルランド公記録館

 

第八章 ナポリ、1943年9月30日 ナポリ王立文書館

1860年、サルデーニャ島とイタリア北西部(ピエモンテ)を統治するサルデーニャ王が、ほぼ イタリア全土から君主として認められた年である。

次の10年は、イタリアの残りの地域(ヴェネツィアとローマ)も後に続いた。

これ以前にイタリアが政治的に1つにまとまっていたのは1300年以上前で、東ゴート族のテオドリック大王(493~526)とその直後の継承者たちの統治下にあった時代だった。

しかし535年から1860年までのイタリアは、ばらばらだった。

 

戦闘が最も激しかったのは「ナポリの4日間」と呼ばれる9月27~30日で、武器を手にした反乱者とドイツ兵が常に交戦状態にあった。 破壊行為は局所的で場当たり的なものに限定された。そうした蛮行の一つがナポリ王立文書館の文書に向けられた。

 

1922年のアイルランドと1943年のイタリアで起こった出来事には、多くの共通点がある。どちらも19世紀に官僚国家によって中核となる公文書保管所が設置されたが、20世紀の戦争による混乱の中で破壊に対して脆弱だった。そして復元の際には渾身の努力があった。無論、大きな違いとしては、1922年の惨事が軍事作戦から生じた思いがけない結果だったのに対し、1943年の場合は意図的なものだった。

 

第九章 ハノーヴァー、1943年10月9日 エプストルフの世界図