
第二部 河川・海上交通がローマの繁栄をもたらした
第五章 何を、どこから運んだのか
地中海西部〜ブリタンニアのルートには
一番西側の「ジブラルタル海峡〜大西洋」
東側の「陸路を含むローヌ川〜モーゼル川〜ライン川〜北海南部」
までの6つのルートがある。
「ジブラルタル海峡〜大西洋」のルートは距離は最も長いが、最も安い。
「ローヌ川〜セーヌ川〜英仏海峡」のルートは距離は最も短いが、ジブラルタルルートの倍以上のコストがかかる。
しかし長距離帆走は風に非常に左右される。
内陸ルートでは、途中に交易可能な都市があれば、評価はだいぶ変わる。
輸送産品
小麦…エジプト・アフリカ・ガリア
ワインとオリーブ油…エジプト・アフリカを除く地中海各地
木綿や麻…エジプト・シリア・小アジア
羊毛…ガリア・ブリタンニア
香料や胡椒…インド
乳香や没薬…アラビアやソマリア
絹…中国
古代ローマの為政者が、穀物の海上運搬になぜ必死になったのか
・紀元前123年の護民官ガイウス・グラックスによる穀物法。ローマ市民に廉価あるいは無料で小麦を供給した
・首都ローマは多くの食量を海外に依存した
海上運搬してきた大型のアンフォーラ中のオリーブ油は、消費地で小型容器に移し替えられた。輸送用の大型アンフォーラは再使用することなく廃棄された。廃棄された場所はモンテ・テスタッチョ(陶片山)と呼ばれている。
小麦等の穀物の海上輸送ルート
・アレクサンドリア・ルート
・アフリカ・ルート
カルタゴ地方を出発
・ガリア・ルート
このルートはガロンヌ川、ロワール川やライン川、セーヌ川といった河川ルートと直接、間接に接続していた
地中海の季節風は、初夏は南風、7〜8月には北風になる。
ナイル川は流れが穏やかで、なおかつ貿易風の関係で、常時北から南、つまり川下から川上への風があった。従って積み出し港アレクサンドリアとの往復に非常に便利であった。
第六章 船と運行者
現在イタリアには古代エジプトから運搬されたオベリスクは13本ある。一番大きいのは、コンスタンティヌス2世が357年に運び、現在はローマのサン・ジョヴァンニ・ラテラノ教会にある、全高46メートルのオベリスクである。
クラウディウス法
元老院議員及びその子弟は、大規模な海上交易に従事することを事実上禁止した。
第七章 航海で必要なインフラ(海と灯台、地図やガイドブック)
古代ギリシャやフェニキアの植民市は、天然の良港につくられることが多かった。
生い立ちが陸の都市国家であった古代ローマは、天然の良港という発想はなく、港は人工でつくるものであった。
古代ローマは、港の建設に技術力を発揮した。プテオリ港やオスティア港のような直線・直立式の埠頭の採用である。
荷物を迅速に荷上げするには、船が横付けできる直線・直立式の埠頭が最適であった。横付けの場合、クレーンが有効に使用できるとともに、舷側の数か所からも荷降ろしができるのである。
直立式埠頭を建設するためには、コンクリートが不可欠である。コンクリートがなければ石を積んだ傾斜式の岸壁しかできない。傾斜式だと、横付けの船は岸から離れた位置にしか係留できないので、荷物の積み下ろしのための距離が長くなり、クレーンも大型のものが必要となる。そのコンクリートをローマ人が発明したのである。特に、水中コンクリートを使用して防波堤や埠頭を建設したことが特筆される。
トラヤヌス港の跡は現存し、ローマ空港に離着陸する飛行機から六角形の形状がよく見える。
アレクサンドリアにおいて、エラトステネス(紀元前275〜紀元前194年)が経緯度に基づく地図をつくった。地中海はかなり正確で、東はインド・セイロン島、北は英国・スカンジナビア半島、南はリビア・アラビア半島を網羅している。この時代にアレクサンドリアの商人は、この地域まで交易をしていたのだろう。
第八章 海賊征伐が帝政ローマをつくった
アリストテレス(紀元前384〜紀元前322年)は海賊業を農民や漁民と同列に扱っている。古代ギリシャや古代ローマの時代の人々は、海賊になることに、罪悪感はなかったのかもしれない。
2度の食料飢饉をポンペイウスは解決してしまった。ローマ市民にとって、まさに英雄である。穀物の安定供給の強い要求が、ローマ市民に英雄待望の空気を植え付けてしまったのだ。この結果、帝政へのレールが敷かれていき、表題の「海賊征伐が帝政ローマをつくった」を実現してしまったのだ。
第三部 道とローマの繁栄
ローマ帝国は500年も繁栄を維持できたのである。繁栄のためには当然、技術力が必要であったが、古代ローマの出発点は、初代王ロムルスの「サビーニ女の略奪」で語られる敗者同化政策と、紀元前450年の十二表法制定、さらに紀元前312年のアッピア街道・アッピア水道の建設ではないだろうか。
あとがき
平成23年3月11日に未曾有の大地震で、死者・行方不明者2万人という津波災害が発生した。国民を守る防波堤の基準がバラバラだったのが大きな原因である。岩手県・宮城県・福島県の防波堤の設計対象が、それぞれ、 明治三陸津波・チリ沖地震津波・高潮であったのだ。さらに国は、「費用や環境に及ぼす影響、海岸や付近の土地の利用状況も考慮する」とあり、各都道府県に裁量の余地を認めていた。なぜ、国民を守るため、国が裁量余地のない高い基準をつくらなかったのであろうか。ハードもそして、避難のためのソフトも。
古代ローマの繁栄の原因の大きな要因に、前記したように領民の安全保障と食料確保がある。高い品質基準と明快な規則で、それを実現したのである。