
地中海世界の中世史
小林功 馬場多聞 編著
ミネルヴァ書房 発行
2021年3月31日 初版第1刷発行
およそ6〜16世紀の地中海とその周辺部の歴史に特化した本です。
序章 地中海世界の中世を語り、学ぶこととは
第1章 中世前半の東地中海
第2章 中世前半の地中海中西部
第3章 文明のはざまで クレタ島から見た9〜16世紀の東地中海
クレタ島の歴史
395年 ローマ帝国は東西に分裂し、クレタ島は東ローマ帝国領に組み入れられる
その主たる住民はギリシャ語を話す正教徒、すなわちギリシア人でありビザンツ世界に属している。
824年頃 イスラームの支配を受ける
961年 再びビザンツ帝国の支配に復帰
1204年の第4回十字軍を契機としてヴェネチアによる支配を受ける
20世紀初頭 ギリシアの一部に入る
第4回十字軍において、キリスト教徒がキリスト教徒を対象に略奪するという事件については、しばしばヴェネツィアが暗躍したとする陰謀説がまことをしやかになされるか、実際には諸勢力の思惑が交錯する中で十字軍が当初の目的を大きく逸脱してしまったという方が正確である。
第4章 「イスラームの海」から「キリスト教徒の海」へ 11〜15世紀の西地中海
オスマン帝国は強力な 常備軍と優れた官僚組織によって支配領域を大きく広げ、アジアからヨーロッパ、そしてアフリカへとまたがる巨大帝国に姿を変えていく。そしてその拡大に際しては、「陸の帝国」としてのイメージとは裏腹に、地中海をはじめとする数々の海の世界とも深い関わりを有していくことは言うまでもない。この意味において、オスマン帝国は「陸の帝国」であると同時に強大な「海の帝国」でもあったのである。
ダ・ヴィンチは1502年、もしくは1503年にオスマン帝国に書簡を送り、いくつかの機械の製造とともにイスタンブールの金角湾に架ける橋の建設を自ら提案している。しかし結局この計画は実現せず、ダ・ヴィンチがイスタンブールを訪れることもなかった。
ミケランジェロからも提案があったが実現せず、結局金角湾に常設の橋が完成するのは、19世紀中頃を待たなければならないことになる。
第6章 地中海と紅海
中世において、地中海は3つの東方ルートを通して、胡椒を始めとした各種産物を獲得していた。
・コンスタンティノープルから中央アジアを陸路で抜けるルート
・東地中海からバグダート゚を経てペルシャ湾へ至るルート
・エジプトを経て紅海へ向かうルート
11世紀以降には、紅海ルートが主軸となった。
イブン・ジュバイルの第1回メッカ巡礼の旅行記
1183年、グラナダを出発
地中海からエジプト、紅海、メッカ、シリアを巡る遠大なもので、帰還するまで約2年3ヶ月を要した。
地中海を船で横断している。そしてジェノヴァ人が所有する船にキリスト教徒と一緒に乗っている。
地中海においては、およそ1年の大半の時期で西風が優勢となっていた。
東風は4月半ばから5月末までの春季と、10月半ばから末にかけての秋季に限られていた。
イドリースィーの世界地図
1138年、ルッジェーロ2世がイドリースィーに世界地図の作成を命じた。
ルッジェーロ2世が亡くなる2か月前、1154年に完成した。
この地図では、南北は逆に描かれていて、アラビア半島が地図の中央に配置されている。これはアラビア半島西部に位置するイスラームの聖地メッカを人々が暮らす場所より上方に描くように配慮された結果であると言われる。
終章 ブローデルの『地中海』とともに