
第Ⅳ部 オーランド諸島――架け橋の群島
15 船とともに歩んできた島々
オーランド諸島では、船を使った交易が行われてきた。農民が生産物を船で直接売りに行く「農民航海」である。
16 スウェーデンとの関係
オーランド諸島の帰属はフィンランドだが、住民の90%以上がスウェーデン語を母語としている。そればかりでなく、オーランド諸島では自治法の言語規定によって、公用語はスウェーデン語のみと定められている。フィンランド本国ではフィンランド語とスウェーデン語の両方が公用語となっているので、オーランド諸島の独自性は際立っている。
17 熊の前足
1809年、講和条約によって、フィンランドと共に、オーランド諸島もロシアに割譲される。
以後、オーランド諸島は、「ロシアという熊の前足」と称されるようになる。
18 バルト海の架け橋
国際連盟の初代事務次長の新渡戸稲造が中心となって取りまとめたとされる裁定により、オーランド諸島の帰属はフィンランドとし、オーランド諸島には自治を保障するというものだった。
フィンランドは主権を、オーランド諸島は自治を、スウェーデンは安全保障を、それぞれ手にしたと言われている。
19 変化の中で
オーランド諸島の「首都」マリエハムンに存在するタイ人コミュニティ
[コラム3]ルーツは島に
マリエハムンの図書館に島外に出たオーランド諸島出身者が自分の祖先をたどり、ルーツを探すことのできるコーナーが設けられている。
第Ⅴ部 ゴットランド島――石と花の島
20 商人たちの盛衰
ゴットランド島のバイキングの港であり、交易拠点の一つであったヴィスビューに北ドイツの商人がやってきたのは、1150年代とされる。彼らの目的は 主に ロシア産の毛皮の取引だった。
ロシアと交易を行っていたゴットランド島民は、ゴットランド島で農業をしながら、交易品取引をする「農民 −交易商」だった。
21 教会の島
ゴットランド島全島に100近く、特に農村部には、90ほどの教会がある。これらの教会は、そのほとんどが中世の時代に建てられた。
22 石の墓、石の砦
23 海賊群像
ゴットランド島で「花形」といえば、やはりバイキングであろう。およそ800年頃から1100年頃にかけて活躍したバイキングは、一面では、襲撃と略奪を旨とする「海賊」であった。
24 船出した人々
ゴットランド島のすぐ北に、フォーレー島という小ぶりな島がある。この島を世界的に有名にしたのは、スウェーデンの映画監督ベルイマンである。彼はその風景に魅了された。
[コラム4]よみがえった鉄道
第Ⅵ部 エーランド島――陽光の島
25 城を造った王たち
エーランド島は、バルト7島の中で、ドイツのリューゲン島とともに、橋で本土と結ばれた島である。本土の町カルマルとの間に架かる1972年に竣工したエーランド橋は約6km という長さを誇る。
26 北と南
エーランド島の南部は、ユネスコの世界遺産に登録されているが、北部は緩やかに人口が減少している。
27 遺跡三態
エーランド島で、紀元450年から490年にかけて、古代ローマの金貨が埋められた。
28 風車のある風景
19世紀には穀物の粉ひきに使う風車が2000基ほどあったが、今残ってるのは350から400 ほどで、その多くは地元の風車保存団体によって所有、管理されている。
29 王家の保養地
[コラム5]島を彩る伝説
エーランド島のそばに浮かぶ「青い乙女」島の伝説
エーランド島のボリホルムの井戸が、青い乙女島につながっているという伝説
第Ⅶ部 ボーンホルム島――風の島
30 円形教会
ボーンホルム島はデンマーク領だが、この島はデンマーク本土よりもスウェーデンの方が近い。
31 古城と統治者たち
32 風景と画家
20世紀初め、セザンヌやマチスと言ったフランスの画家に刺激を受け、抑えた色調や抽象画の手法を取り入れて、ボーンホルム島の風景を描いた画家たちは、「ボーンホルム派」と呼ばれ、デンマーク美術にモダニズムをもたらしたとして評価された。
33 未来への摸索
デンマークでは、2007年自治体改革が行われ、それまで14あった「県」が5つの広域な「地域」に再編され、270 近くあった市に相当する「基礎自治体」が98に統合された。より「基礎自治体」に権限を持たせることが目的であり、この時、ボーンホルム島も「県」から「基礎自治体」に転換された。
34 戦争と島
デンマークは1949年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟し 、西側の一員となった。そうした中でボーンホルム島は、ポーランドや東ドイツに地理的に近いという位置関係から、冷戦の舞台の一つとなっていく。
[コラム6]住民の劇場
第Ⅷ部 リューゲン島――環の島
35 石段と白い崖の町
リューゲン島も橋で本土と結ばれているが、道路だけでなく鉄道でも結ばれている点では、バルト7島の中では唯一の島である。
36 幻のリゾート
この場所を一段と有名にしてるのが、ナチス時代に計画されたプローラというリゾート施設の廃墟である。この廃墟は「プローラの巨人」と呼ばれるように、6階建てのコンクリート製建物群6ブロック(元々は8ブロック)が長さ4.5km にわたって延々と連なる、けたはずれのスケールで名を馳せている。
37 ラーン人
元々はゲルマン人が住んでいたリューゲン島に、西スラブ人であるヴェント人の部族の一つ、ラーン人が定住するようになったのは、9世紀頃と言われている。
38 領主たちの望み
39 リゾートタウン点描
[コラム7]冷戦の遺構
リューゲン島・アルコナ岬は、この島を代表する観光名所の一つである。そこの草むらの中に無数の湾曲した鉄パイプが、同じ方向を向いてにょきにょきと地面から突き出ているのである。
この鉄パイプの正体は、旧・東ドイツ国家人民軍が造った掩蔽壕(えんぺいごう)の換気孔である。掩蔽壕は、かまぼこ型のコンクリート・トンネルの上に盛り土をしたもので、所々に入り口が設けられている。
40 〈エピローグ〉バルト7島の協力
冷戦の崩壊は、バルト7島にとって、失われた関係を取り戻し、新たに発展させていく契機をもたらすことになった。そして誕生したのが、島々の協力の枠組み、バルチック 7 バルト諸島ネットワークである。バルチック 7は、ベルリンの壁が崩壊した1989年に、ヒーウマー島、サーれマー島、オーランド諸島、ゴットランド島、エーランド島、ボーンホルム島によって立ち上げられ、1993年にリューゲン島が加わった。これらの島々は、バルト海島嶼の中で、比較的面積規模が大きく、また地方自治体として一定程度の権限を持っていたという共通点があった。
しかし2013年、バルチック 7 設立の推進役だったボーンホルム島がバルチック7を脱退した。また翌2014年、エーランド島も脱退した。
脱退の理由としては、その財政負担に見合うものが少ないとの判断だった。