正統と異端(まえがき、第1・2章)

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正統と異端 -ヨーロッパ精神の底流
中公文庫
2013年4月25日 初版発行
1964年勤労感謝の日 著者まえがき
 
中世ヨーロッパはその歴史的形成の最初から、法王と皇帝という二権力を中心とする楕円的統一体であり、最後までそのどちらもが他方を圧倒するものではなかった。そのような特徴を備えた宗教と政治の緊張関係を背景として展開された、ヨーロッパ中世における正統と異端の抗争は、これまた他のいかなる歴史にも見出されない深刻なものだった。
 
1210年?、法王イノセント3世は、聖フランシスと会っていた。この会見は起伏に乏しくない西洋の歴史にあっても数少ない、世界史的な出会いの一つだった。
しかしもしフランシスの清貧主義の運動は、一世代前ででもあれば、異端として処理された可能性が強いのである。
(この2013年、フランシス(フランシスコ、フランチェスコ)という名を初めてつけた法王が現れたのは、ヴァティカンが不祥事に苦しむ中、象徴的なことである)
 
多くの場合既存の教会制度での解決、つまり既存の修道会への吸収やそれに準じた修道会の設立により事態を収拾しようとし、これに甘んじないものを容赦なく異端として弾圧した。
たとえば1173年に設立されたワルド派(別名「リヨンの貧者たち」)などは1179年、ローマ法王庁の審査により、あっけなく彼ら民衆の宗教運動を抑圧してしまう。
 
1198年に即位したイノセント3世は、異端も含めてなおカトリック性を失わないあらゆる宗教運動に働きかけ、これを積極的に指導して教会に吸収しまもりにつかせること、この指導に従わないものには異端として弾圧する。
フランシスは幸運なめぐりあわせだったのかもしれない。
 
グレゴリウス改革と呼ばれる11世紀中葉以来12世紀前半に及ぶローマ教会の改革運動。
これは元来聖職売買と聖職者妻帯という、二大悪に対する教会浄化運動から出発するもの。
 
宗教、政治などにおいて、支配的な体制・傾向・潮流を正統とし、これに反抗する立場・行為を異端とするのが一般的
ただ正統と異端は、相互に相関関係をなすものだから、各々が一義的・不変的内容を持つものではない。それゆえ流動性があり曖昧さを引き起こす。
正統と異端の出発点には、預言者ないし始祖の言葉=啓示が正統の根本的テーゼとして必要である。
そしてこの解釈の正統性と異端性を決定する基準となるのは、その解釈が全面的か、一面的かである。
 
社会主義国家の正統主義の場合にあっては、指導者であったスターリンに対する批判「スターリン批判」は早すぎた「アンティクリスト」だったが、それゆえに批判はスターリン個人の過ちにしぼられ、マルクスレーニン的原則とその展開としてのソヴェート体制は、本質上無傷でなければならなかった。
スターリンとその仕事は、いわば有機体の自己恢復にもにた異物の排除、排泄として処理されることとなる。
(このあたり、実際にこの本が書かれた当時の世相が反映されていて興味深い)
 
異端はきわめてラディカルな理想主義の形態をとる。
正統は社会=俗世の不完全さをその出発点における前提とするので、人間と社会の欠陥に寛容である。