世界の歴史 7 近代への序曲

世界の歴史 7 近代への序曲
松田智雄 責任編集
昭和41年12月1日33版
中央公論社 発行

この本では、ヨーロッパのルネサンスから宗教改革あたりを扱っています。
ルネサンスの科学技術として、大砲や遠洋航海、地動説や印刷術などを紹介し、人文主義の発芽としてエラスムスを中心とする人々を取り扱っています。
更にはマルティン=ルターの宗教改革と、それに伴うヨーロッパ各地の動きも取り上げています。

1494年秋、フランス王シャルル8世は大軍を発してアルプスを越え、イタリアに攻め入る。マキャベリとかのイタリアの心ある人たちは、アルプスの北の野蛮国に大きい、新しい力が育っていることをまざまざと見せつけられた。個人の自由と才能だけを頼りにしている自分たちの時代は過ぎた。これからの歴史はこの新しい力が書いていくであろう、と。
後世のイタリアの歴史家も、この年をもってイタリア近世のはじまりとする。
イタリアも、日本の黒船来と同じく、外国の侵入によって近世史の第1ページを開いたのである。P70-72

イタリアの美術は、古典にならって、全体を合理的に構成して、部分をそれに合致させようとした。北方では全体よりも部分を、また思考するよりもまず物をそのまま先入見をすてて忠実に観察し、そのまま映しだそうとした。
この両者の相違は、芸術だけに限らず文化全体にも、特に自然科学的な考え方にもみられる。まず合理的な仮説をたて合理的に推進していく立場と、先入見を避け実験と観察による経験を積み重ねていく立場とである。P80

エラスムスは印刷術の申し子だった。
もしこれがなかったら、あのエラスムスも出現しなかったに違いない。
しかし危険もそこにあった。エラスムスは印刷術にひっぱりまわされる。
エラスムスは近代ジャーナリズムの最初の寵児であり、最初の犠牲者だった。P251-252

中部ドイツと呼ばれるのは、ザクセン、テューリンゲン地方である。
ドイツ文化は、地方色の差異がきわめて著しく、各地方がその個性をいやがうえにも主張しているという性格をもち、それは言語の上にことに強く示される。
だが、中部ドイツだけは、むしろ逆に結びつける力をもっていた。風景さえも、おだやかで親しみ深い。P332-333

宗教改革震源地ドイツでは、カトリック教会は自分の力でルター主義に反撃を加えることができなかった。
「反宗教改革」の精神は、ドイツからではなく、南ヨーロッパのラテン的諸国民、とりわけスペインから生まれてきた。
スペインが旧教会の反撃の拠点になったことは決して偶然ではない。なぜなら中世を通じて、イベリア半島は、イスラム教徒に対するキリスト教世界の「西部戦線」として、はなはだ戦闘的な十字軍精神を養い育ててきたからである。P461

イエズス会は、いわば法王の「新撰組」として、ヨーロッパの内外にめざましい宣教活動を展開し、反宗教改革の推進に本質的な寄与をなした。P472