ヨーロッパ運河物語(後半)

マインドナウ運河などの配置図

ヨーロッパ運河技術史

タキトゥスの「ゲルマニア」によるとガリア人が底の平らな船で急流をうまく移動したと書かれているが、運河はなかった。

紀元1世紀頃ローマ人が軍隊の遠征と統治の必要性から、今のユトレヒト付近につくった運河が最初らしい。

 

15世紀末にマイター・ゲートと呼ばれる今日使われている観音開きスタイルのゲートが登場した。1450年頃アルベルチという技師がその著作「構造学」の中でこのゲートの概念を唱え、1497年にレオナルド・ダ・ヴィンチがスケッチでゲートを設計した。これが現在使われているマイター・ゲート型の門扉の嚆矢であるとされている。

 

木製ゲート付きの石積みの閘門は、17世紀にはほぼ技術的に完成域に達したが、水位差4~5mを超える設備をつくることはできなかった。これは木と石という材料の持つ宿命的な弱点にあった。繰り返しかかるこれ以上の水圧は閘門本体やゲートを破壊した。このために急傾斜のスロープでの運河建設には、工夫を必要とした17世紀に入り、フランスでブルボン王朝の時代にリケらによって、この低い閘門を連続的につないで高さを克服するという階段状閘門のシステムが実現化し、初めて170mの分水嶺を越えてヨーロッパ大陸を横断する運河ミディ運河の建設に成功した。

その半世紀後にボヘミアのルートリッヒ1世が101基の閘門をつなぎ、407mの分水嶺を越えてライン川(ヨーロッパ)とドナウ川(アジア)を結ぶことに成功した。

19世紀になると蒸気船が登場し始め、動力船を通す運河、船舶運河が要請されるようになった。船舶運河の嚆矢は1822年に開通したカレドニア運河である。

 

1824年にアスプジンによってポルトランド・セメントが発明され、次いでベッセマー(1856)、シーメンス(1857)らによって、鋼鉄が低廉かつ大量に供給できる転炉、平炉が発明された。新しい強くて安い材料の出現の結果、一段で10m以上の水位差をクリアできる鋼鉄製ゲート付きの大型コンクリート製の閘門が可能になった。

 

産業革命によって船は大型化し、運河の交通量も増大した結果、消費する水量が増大し、運河の頂上部の水資源を確保することが次第に困難になった。

その結果、水を節約しながら一度に大きな水位差を持ち上げるインクライン、リフト、節水槽付き閘門など新しい発想の技術が当然の帰結として生まれた。

インクラインは川の上に板を張って水力や家畜の力で上げる装置が、いつしか登場するようになった。

世界最初の本格的なリフトは1875年にイギリスのアンダートンでクラークとデュールによって建造された鋳鉄製の水圧式のリフトであった。このリフトは水を消費することなく 100トンの船を10m昇降させる能力を持っていた。

このリフトの技術は、すぐに全ヨーロッパに広がっていった。ベルギーでは、オランダ、フランスに併合されていた時代にナポレオンらによって両国を結ぶ運河の整備が進んだが、その1つのサントル運河に1888年から4基のリフトが導入され、360トンの蒸気船の航行が可能になった。この4基のリフトは現在も動いている。

船を昇降させる方式として、

①水圧を利用する方式

②フロート(浮き)を利用する方式

③カウンターウェイトによる方式

があり、初期の方式は①、②が多かったが、最近の大型リフトは③による方法が多い。

 

現在、ドイツ、ベルギーでは、1500トンに達する大きな船が、リフト、インクラインという機械装置や特殊な閘門の助けを借りて、一気に30から70mも昇降し、そして山の中を船が静かに走っていくという光景が、ごく普通に見受けられる。

 

ロンキエールのインクライン

1432m の巨大な滑り台。1968年にシャルルロワ・ブリュッセル運河のロンキエールに完成した68mの水位差を克服するためのインクライン。

 

ライン・マイン・ドナウ運河歴史探訪

運河によって北海、大西洋と地中海を結ぶことはヨーロッパの人々の長い間の夢であった。

793年にボヘミアのカール大帝はライン川とドナウ川を結ぶ運河の建設に挑戦し、工事に入ったが途中で挫折した。現在、ニュールンベルクの南にカール大帝の溝として呼ばれる遺構がある。

そしてナポレオンも挑戦を試み、諦めた。

1845年、この2つの川を結ぶ偉業はババリア王ルートリッヒ1世によって実現された。現在、ルードリッヒの運河もしくはレグニッツ運河と呼ばれる水路である。

この運河の場合は120トンの馬曳船しか通すことができなかった。一時、この運河は栄えるが、鉄道と蒸気船が登場した19世紀後半にはすぐに時代遅れのものとなった。

 

マイン川とドナウ川区間171km は1960年から始まり、1992年9月に世紀の事業としてマイン・ドナウ運河の完成をみた。これによって北海から黒海まで 3463kmを1500トンの船で航行することが可能になった。

 

「日本の河川は急峻で運河化はできない」「ヨーロッパとは地形が違う」という話が一般に流布されているが、日本でも17世紀には全国に150以上の河川が運河化されているし、マイン・ドナウ運河の場合、分水嶺付近では 1/1000から1/300程度の水路勾配で、日本の通常の平野部の河川勾配と同程度か、むしろ それより急勾配である。ライン川、特に上ラインはかつては大変な暴れ川で、洪水も多く、ローレライの伝説ではないが船乗りも難儀していた。自由航行が可能になった19世紀に半世紀の歳月と膨大な資金をかけて大規模な河川改修を行った結果、今日のように船が通せるようになったという事実を知る人は少ない。

 

バンベルク

ここはかつてルードリッヒ1世の運河開通後、地中海と黒海を結ぶ港町として繁栄した。ここが171kmのマイン・ドナウ運河の起点となった。

 

スパゲッティ橋

運河を渡るユニークな歩道橋。 ぐにゃっと曲がっている。 時として自由なる発想はその環境に異質なものを提供する。木造橋である。

(エッシング:バンベルクより160km)