放浪学生プラッターの手記 スイスのルネサンス人

放浪学生プラッターの手記 スイスのルネサンス人 表紙

 

放浪学生プラッターの手記

スイスのルネサンス

阿部謹也 訳

平凡社 発行

1985年8月30日 初版第2刷

 

ルネサンス宗教改革時のスイス生まれのトマス・プラッター(1507?-1582)の自叙伝です。

題名には放浪学生となっていますが、出生から晩年までの人生を振り返り叙述しています。

 

Ⅰ さすらいの日々

一 悲惨のはじまり

ヴァリスに生まれる

二 命懸けの山羊番

アルプスの少女ハイジでもペーターが危険な場面がありましたが、それと同じような感じでしょうか?)

 

三 放浪のひよっこ

放浪学生の弟分として使われ、物乞いや盗みなど苦労しながら放浪する

 

四 勉学の機熟す

シュレットシュタットでヨハンネス・サビドゥスの学校で勉強する。

 

クストス(助手代行司祭)の時、教会の祭壇にある偶像を薪に使うプラッターp46

 

ツヴィングリの説教を聞いて感動し、司祭にならないと決心するプラッターp48

 

Ⅱ 労働しつつ、学びつつ

五 ツヴィングリ信奉者となる

ラテン語ギリシャ語・ヘブライ語を同時に勉強するプラッター

睡魔と闘うために冷たい水を口に含み、砂を口に含んで、万一眠り込んでも砂が口の中でザラザラしてすぐに目が覚めるようにした。p64

 

六 綱造り職人とヘブライ語

チューリッヒで聞いた「額に汗して汝のパンを食せよ」という説教

 

綱造り職人の前垂れをつけたままヘブライ語を教えるプラッター先生p74

 

七 結婚し、故郷で学校を開く

 

八 バーゼルで助手となる

バーゼルの城の学校長の助手となる

 

九 医者エピファニウスのもとで

 

一〇 カッペル敗戦のあとで

ツヴィングリの戦死

 

Ⅲ 名声と富

一一 ペタゴギウムの教授となる

 

一二 印刷業者と教授を兼ねる

 

一三 城のギムナジウムの校長

 

一四 郊外に屋敷を手に入れる

 

トマス・プラッターの世界(訳者解説)

ルネサンス宗教改革期のスイスは戦乱の中にあった。

この時代に一般化した文学のジャンルとして自伝があった。p195

 

アルプスの山脈地帯が国土の六割を占めるスイスでは本来耕作地が少なく、荘園制も十分に成立せず、封建制成立以前の自由民の伝統が残されていた。

 

ツヴィングリを指導者とするスイスの宗教改革は1528年にベルン、29年にバーゼルで進められ、徐々に広がっていった。これに対してカトリックに留まった諸邦は反抗した。p196

 

放浪学生がひとつところに定住して学問に打ち込めなかったのは、教師の側の事情と経済的な事情の二つなのだが、この時代の人々が旅する人々でもあった。

中世の人間は貴族も市民も聖職者も、国王に至るまで一生を通じて旅をし続けていた。p203

 

トマスの自伝の中で最も注目すべき点は、ツヴィングリが労働の尊さを説いたことに感動してトマスだけでなく、かなり学問のある人間が手工業につき、綱造り職人になるところである。p205

 

中世のバーゼルには大聖堂Domがあったから、当然大聖堂付近のラテン語学校があり、その他の教会にそれぞれラテン語学校があった。教師はすべて聖職者であった。生徒は七~八歳でこれらのラテン語学校に入ったのだが、その前にドイツ語で授業する学校もあった。そこで読み書き計算の基礎を習う。p210