ヨーロッパの言語(後半) アントワーヌ・メイエ著

1928年頃のヨーロッパ言語地図

 

19世紀初頭以降の言語の発展の歴史を支配している特徴は、新しい国語の確立である。民族としての自覚を持つ民族はいずれも、自分たちの文語と自分たちに固有の教養語を求める。p250


ヨーロッパ西部ではヨーロッパ東部とは異なり、国語を確立する第一要因は宗教ではなかった。国語はまず世俗的要求のために用いられた。あるいは本質的に宗教性は持たなかった。p265


16世紀、印刷術の発明により国語による出版物が増え、出版物は固定的な性質を帯びるようになった。印刷言語の統一性が確立された。
他方、16世紀は学者語として、また国家語としてのラテン語の役割が減少した。p270


17世紀になると、ほとんどすべてのヨーロッパ西部の国で国語の固定化が完了した。p272


庶民に使われている語彙を文学に移入するためには、まさに第一次世界大戦が必要だった。戦争中、国民のあらゆる階層が同じ部隊で親しくなり、兵士は俗語でよく使われる単語を使っていた。このような軍隊における用法によって、俗語は一種の品位を与えられ、作家は兵士の登場する作品に、人の気分を害することなくパリの下層民の言葉を使用できるようになった。p291-292


スイスでは公認された言語が三つあり、事実上は四つの和語の型が存在するにもかかわらず、連邦型の憲法を持ち、古くから公共精神を育んできたおかげで、スイス人は言語論争をすっかり免れている。p308


ラテン語内陸国家の言語であり、ローマ帝国とその行政の公用語であったため征服された民族に採用された。
一方ギリシャ語は海路を通じて広まった。


ヨーロッパ東部は、アジアからの侵攻の通路の役割を果たした。
これらの侵攻は、特にスラブ語諸言語の分裂を促し、そのため彼らは安定した組織をつくり文明化を徹底することができなかった。p321


19世紀ロシア文学が新鮮な印象を与えるのは、民衆語と文語の接触によるところが大きい。p328


フランス語文法は複雑な動詞体系を持っており、不規則動詞や欠如動詞がたくさんある。
16世紀および17世紀に確定された正書法は、歴史的であると同時に衒学的である。これは実際の発音に対応していない。p416


英語はそれ自体を見ると、単純で規則的な型を持つ便利な言語である。
ロマンス諸語は今も男性形や女性形といった無意味な区別を維持しているが、英語はこのような文法的範疇といった不条理を捨ててしまった。p426-427


精神を柔軟にするために、ラテン語は現代語の知識よりはるかに有益である。
古典語を学ぶことによって、全く新たな言語体系に立ち入ることが出来る。p436


ある時期に流行した最初の人工語はあるドイツ人が発明したヴォラビュクであるが、あまりに難しかったため、すぐに放棄されてしまった。p457


人工語は、それほど繊細なニュアンスのない事実や観念を正確かつ簡素に論ずるにはふさわしいが、まさにその本質によって、文学的表現には不適当である。p465


エスペラント語のような国際語を知っている中国人や日本人は、すでにヨーロッパの諸言語になかば導き入れられたようなものである。p469


話語(parler)
口語や言とも訳される。
俚語(patois)
使用地域がさらに小さな話語p493


文明語(langue de civilisation)
標準化された書記体系を持つ言語で、独自の文学や思想、学術を保持する民族が使用する言語


メイエはスラヴ語の一体性を強く主張してために、ウクライナ語という名称を使わずに、小ロシア語と呼びならわし、大ロシア語(ロシア語)との類縁性を強調した。p494


イドはエスペラント語で「派生物」の意。エスペラントを改良してつくり1907年に発表した。


同時通訳の機械は1926年にIBMが開発し、1927年に国際連盟の会議で初めて試みられた。p504