ローマへ続く真直ぐな道
表示に従って中に入っていきます。 写真のようなパネルがあったので、参考のために写しておきました。 やはり説明文を英語で書いてくれているのは、本当にありがたいですね。 それによるとこの場所は、2002年に文化省が私有地を買い取り、同年末から発掘調…
アッピア街道を更に歩いていくと、上の写真のようなモニュメントがありました。 その時のことについてはあまりよく覚えていないのですが、この写真の真ん中の標示を改めてよくみると、「Capo di Bove」と書いてありました。 どうやらこのあたりで…
サン・セバスティアーノ聖堂を出て、再びアッピア街道を郊外に向けて歩いていきます。 写真のように、途中で石畳の大きさがかわっています。 手前が小さい表面積なのに対し、向こう側が広い表面積になっています。 もともとのアッピア街道は、広い表面積で…
サン・セバスティアーノ聖堂の本堂に入ります。 もともと、4世紀初頭に建てられた時は、使徒ペテロとパウロに捧げられた聖堂でした。 その後聖セバスティアヌスがここに葬られ、9世紀ごろにはその名を冠するようになったそうです。 現在の様式は17世紀…
サン・セバスティアーノ聖堂内部に入り、なぜか上の階への階段を登っていきます。 たどり着いた部屋には、写真のような教会関連の模型がありました。 写真の教会は、サン・セバスティアーノ聖堂とは別の教会のようです。 他にも、聖書関連の模型があったよ…
ロムルスの廟から、更にアッピア街道をローマ側に歩くと、写真のようなサン・セバスティアーノ聖堂に到着します。 この地下にはカタコンベが広がっているのですが、たまたまついた時間は昼休みになっており、見学できませんでした。 個人的には、カタコンベ…
一旦、マクセンティウスの競技場のスペースを出て、アッピア街道に戻り、ほんの少しローマ側に歩き、金網越しになんとか苦しい角度で、覗き込みます。 この写真の手前の普通の家は特に関係ありません。 その奥の少し見えてる建物がロムルスの廟と呼ばれるも…
マクセンティウスの競技場だった敷地を、時空を超えて、ほろほろ楽しく彷徨いました。 帰りに名残惜しく振り返りながら、出走のラッパ手用に造られたと言われている塔の写真を撮ります。 そばを歩いている人と比べても、その大きさがよくわかりますね。 あ…
ローマ正帝の座を 夢見た男、マクセンティウス ミルヴィオ橋の戦いで 一敗地にまみれて 野望半ばでこの世を去る 21世紀の今に残るは 朽ちかけの塔と館と はるか古から 綿々と胞子をつないできた 小さなキノコがただ一つ
マクセンティウスの競技場から、先ほど訪れたチェチリア・メテッラの墓が見えます。 ちょうど真上に太陽があり、もろ逆光になっていますね。 チェチリア・メテッラの墓は、紀元前50年ほどに造られたのに対し、マクセンティウスの競技場は4世紀に造られて…
マクセンティウスの競技場のなかをうろちょろ歩きます。 振り返って、出走ゲートや塔の写真を撮ります。 その向こうの巨大な壁が気になるのですが、何なのかはよくわかりません。 最近読んだローマの建物の本によると、この付近には第二次世界大戦の犠牲者…
マクセンティウスの競技場のそばに、写真のような遺跡がありました。 このあたりは全体で、マクセンティウスのヴィラと呼ばれているので(チケットもそう表示されていました)、宮殿の跡などもあるようです。 写真の遺跡が何だったのかはよく分からないので…
マクセンティウスの競技場の中央部分です。 競技場なので、普通のトラックみたいに、楕円のコースを走るような構造になり、中央部分は空間になります。 この遺跡が何に使われていたのかはよくわかりません。 上の写真の、小屋のようなところと、壁のような…
マクセンティウスの競技場の塔のあたりから全体を眺めます。 この競技場は、長さ520メートル、幅92メートルあり、1万人の観衆が収容できたそうです。 それでも実際には、マクセンティウスの敗戦による死により、一度も使用されなかったのではないか、…
マクセンティウスの競技場の塔(館?)のそばに近づいてみます。 ちょっとしたアーチの跡があり、単純な建物の構造でなく、そこそこ奥行きがあったようです。 建物のそばにまで草木が迫っています。 あえてよく言えば、自然と溶け込んでいる感じですね。
さらに進んでいくと、ちょうど影に遮られた場所に、痕跡がありました。 これはマクセンティウスの競技場の出走ゲートにあたるところです。 ここから、競馬の馬がスタートするような造りになっていたようです。 更に近づいていくと、ゲートの向こうに、建物…
チェチリア・メテッラの墓から、アッピア街道を少しだけローマ中心方面に歩きます。 入口らしきところに、男性が暇そうに立っていたので、「ここはマクセンティウスのところですか」と尋ねると、そうだとのことでした。 そばの受付のある小さな建物で3ユー…
チェチーリア・メテッラの墓の敷地内から外に出て、墓の本体を眺めます。 円筒形で貫禄があります。直径が29メートルもあるそうです。 アッピア街道沿いで、一番くっきりした建造物と言えるかもしれません。 この壁面はもともと下部は古代、そして上部が…
チェチリア・メテッラの墓の受付の建物に、上記の写真のような遺跡の断片が飾られていました。 立派なあごひげを蓄えた人(神様?)などの顔や、様々な装飾が見られます。 左側には、馬か羊か、動物の頭もありますね。 この墓の敷地内などで発掘したものと…
地下に降りていきます。 写真のような場所がありました。 墓の本体なのでしょうか?よくわかりません。 一生懸命説明するおじさんと、あまり乗り気でない若い子たちがいましたが、自分がかわりにおじさんの話をちゃんと聞いてあげればよかったです。 いわゆ…
チェチーリア・メテッラの敷地内に入ります。 ここはカエターニ一族が14世紀に付け加えた所で、今は彫像が展示されています。 首のない彫像が多いのが気になりますが、単なる経年劣化ではなく、人為的に破壊されたのでしょうか? この中で、下の写真の、墓…
チェチーリア・メテッラの墓の敷地内に入ります。 数日前、アルケオバスで前は通りすぎました。 ローマ国立博物館や、コロッセオ、フォロ・ロマーノなどの共通券であるアルケオロジアカードで、ここにも入ることができました。 まず写真のような案内板を見ま…
木々の緑の中に小川が流れ、そして人が佇んでいる、コローの絵のような風景を見ながら(なおかつローマ水道橋つき)水道橋公園を、名残を惜しみつつ、あとにします。 ここからもと来た地下鉄のSubaugusta駅まで歩いていきます。 今にして思えば、少し無理し…
マルキア・フェリーチェ水道橋から水が流れ出しているところを写真に撮りました。 この水道橋公園周辺の緑や畑を灌漑するためなどに使われているのでしょうか。利用方法までははっきりわかりません。 飲むのはちょっと危なそうですので、水に手を浸けてみま…
このマルキア・フェリーチェ水道橋は、クラウディア水道橋と違って、橋脚がありません。 しかしよく見ると、下部には沢山アーチのようなものが並んでいます。 どうやら推測するに、長年の土砂の堆積によりかなり地中に埋もれてしまったようなのです。 クラ…
水道橋公園にあるもう一つの水道橋である、フェリーチェ水道橋に戻って行きます。 最初クラウディア水道橋にいくときに、この上を通る鉄製の簡易階段を渡りました。 この水道橋の名前ですが、宮内庁のHPに載っていた皇太子殿下ご訪問時のスケジュール表に…
あたかもここを起点にして はるか彼方まで分かれていく 道が一本、そしてまた一本 歩く人一人、そしてまた一人
水道橋公園の並木道を歩いていきます。 松の木とクラウディア水道橋が独特の風景を形作っています。 このあたりは、かなり並木の本数も多くなっています。 冬なので意識しませんでしたが、夏の日は太陽の光を遮り、通る人々にひと時の涼を与えてくれている…
クラウディア水道橋から、少しずつ離れていきます。 先ほど通った木の橋が見えますね。 途中に、芝生の中にぽつんと石の柱がありました。 ひょっとしたら、これも古代ローマ時代の、何かいわれのあるものなのかなと思ってしまいます。 さらに歩いていくと、…
古代の水道橋が 指し示す未来に向かい 現代の飛行機が 飛び立っていきます