カポ・ディ・ボヴェ荘の名前の由来(アッピア街道沿い、ローマ)

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前回写真を撮った場所から、経路を直角に曲がり、改めて写真を撮ります。
中世になり、1302年、このあたりはフランチェスコ・カエターニ枢機卿が所有するようになります。
彼は教皇ボニファティウス(ボニファス)8世の甥にあたります。その恩恵を受けたこともあり、権勢を誇っていたのでしょうね。
カエターニ一族は、この前に訪問した、チェチーリア・メッテラの墓も所有していました。
その墓の装飾にちなみ、ここが「カポ・ディ・ボヴェ(牛頭)」と呼ばれるようになった、とのことです。