大世界史 2 古典古代の市民たち

大世界史 2
古典古代の市民たち
著者(代表) 村上堅太郎
発行 文藝春秋
昭和42年7月25日 初版発行
 
地中海に面したギリシャ、ローマで発展した古代文明をわかりやす伝えている。
 
貴族政、寡頭政、民主政、無政府、のような政体をあらわす言葉は、みな古代ギリシャで生まれた言葉である。
デマゴーグも同様であるが、もともとは「民衆の指導者」を意味した。
しかし今はそれが煽動政治家という悪い意味に使われるのは、クレオン以後の民衆指導者が、無知な大衆を背景に、好戦的な、いわゆる「極端民主主義者」だったからである。
彼らは市井の工業家であった。しかし名門出の一青年であるアルキビアデスが民衆を引きずった時、アテネの国運は急速に傾くことになる。彼は自分の名誉のためには祖国もギリシャもないエゴイストで、政治的無節操の点で世界史にたぐいまれなる人物であった。
 
ギリシャの歴史家ポリュビオスは紀元前167年ローマに連れてこられて、隆々たるローマの国運を目の当たりにする。
その理由は政体にあるという結論に達する。
政体というものは循環する。
君主政から暴君政にかわり、ついで貴族政が生まれ、それが堕落して寡頭政となり、更にそれを打倒して民主政が生まれる。
しかしそれも腐敗すると衆愚政またはアナーキーがあらわれ、再び君主制にとってかわられる。
そして君主政、貴族政、民主政の混合した政体こそ最善の政体であると考えた。
当時のローマは貴族政をあらわす元老院、民主政をあらわす民会、王政的要素を示す二人のコンスル政務官)の三つのシステムがバランスを保っているところに注目した。
 
ローマ帝国キリスト教化していくのに重要な役割を果たしたアンブロシウス。
彼は有力な政治家の息子で、知事としてミラノにいたが、周囲の強い勧めで洗礼を受けさせ、そして司教の座に就いた。
彼は伝統的宗教との戦い、皇太后との戦いにキリスト教側で勝ち、なおかつテオドシス帝を彼の強権的行動を悔い改め、懺悔させるようにした。
国家が誤りに落ちぬように彼が心をくだいているあいだに、教会が国家にかわる組織として、深く根をおろしていたのである。(無意識か意識的にかはわからないが・・・)
 
ダヴィンチの絵画で有名なヒエロニムス。
彼は砂漠にいって隠者となり、孤独と苦行の生活を送る。
その後ベツレヘムで聖書をヘブライ語からラテン語に翻訳する仕事に没頭する。
日常の言葉を使った平易な訳は、後世にまで重んじられた。
 
西欧合理主義と民主主義の源を古代のギリシャ・ローマにあると認めるならば、今日の日本人の生活は、古典古代史民の文化と意識せずに結びついている。
(まあでも結局は、多数のデマゴーグたちに支配されているだけかもしれないが・・・)