ローマ散歩 Ⅰ
スタンダール 著
臼田 紘 訳
新評論 発行
1996年9月30日 初版第1刷発行
1827年8月3日から1828年6月2日までのローマ見学を叙述しています。
原著Promenades dans Romeは1829年9月にパリで出版されました。
旅行手帳の冒頭のタイトル
・絵画の傑作。ラファエッロ、ミケランジェロ、アンニーバレ・カラッチのフレスコ画
・近代建築の傑作。サン・ピエトロ大聖堂、ファルネーゼ館など
・古代の彫像。『アポロン』『ラオコーン』、パリで見たことあるもの
・近代の二人の彫刻家、ミケランジェロとカノーヴァの傑作。サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会の『モーゼ』とサン・ピエトロのレツォニコ教皇の墓
・政体とその結果である風俗
この国の支配者はこのうえない絶対的な政治権力を享受し、それと同時に、彼の臣民を、救済の問題という一生の最重要問題で左右する。
この支配者は若い時代には君主ではなかった。人生のはじめの五十年間は、自分よりもっと力のある人物たちに言い寄ることをしていた。一般に、他所では仕事を辞める頃に、つまり七十歳くらいで、はじめて仕事に就く。
教皇の延臣はつねにその主人にとって代わる見込みがある。
教皇はとても異なった二つの権力を執行する。司祭としては、人間を永遠に幸福にすることができ、王としては、その同じ人間を撲殺することができる。
ウェスパシアヌスが、以前はネロの池と庭園があった場所にコロッセオを建てさせたというのが、一般的な見解である。
ネロの巨大な(コロサル)な像がこの円形闘技場の近くに置かれていた。コロッセオ(コロセウム)という名前はこれに由来する。
乗合馬車でイタリア各地の町で四旬節の説教をしに行く三人の説教師と一緒に旅行した。
彼らが僕をいくらか信用すると、僕にこのうえなく陽気で、このうえなく疑いようのない逸話を語ってくれた。
それらは告解室で彼らに打ち明けられたものだった。
パンテオンには次の大きな利点がある。
その美しさを感じるにはほんの短時間で充分なのである。
柱廊玄関の前に立ち止まり、数歩進み、教会を見て、それですべては終わりだ。
パンテオンのためには、才知のある一人の知事がニームでメゾン・カレのために行ったことを実行しなければならないだろう。
メゾン・カレは革命時代に政府が県に売却し、知事の下で整備・修復された。
フレデリックはヴィッラーニに魅せられている。フィレンツェの独創的な歴史家だ。彼は二年前にフィレンツェで発行されたその素晴らしい版を買ったばかりである。
『ボルゴの火災』の中で僕たちに衝撃を与えるのは、それが火事を描いていて、奇蹟を描いていないからだ。教皇が十字を切った瞬間に火事が消えるのを表すものは何もない。
明暗はラファエッロの弱い部分の一つである。
付録
紀元54
ガリラヤのベトサイデの聖ペテロが、ローマに本拠地を築く。ネロが支配していた。
プロテスタントの作家は、これらの初期の教皇たちについて多くの疑問をあげていて、聖ペテロはローマに来たことが無かったと主張している。
ユリウス二世
ナポレオンにも比すべきこの教皇は、サン・ピエトロの実際の創設者である。
ユリウス二世、ミケランジェロ、ブラマンテ、そしてラファエッロが芸術を支配していた町とは、何という町だろう!
イタリア絵画史 五つの流派
ローマ派 ラファエッロ
ロンバルディーア派 レオナルド・ダ・ヴィンチ
ボローニャ派 アンニーバレ・カラッチ