マキアヴェッリ 自由の哲学者

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マキアヴェッリ 自由の哲学
クェンティン・スキナー 著
塚田富治 訳
未来社
1991年2月25日 初版第一刷発行

この本は、マキアヴェッリについての入門書で、訳者によると、スキナー氏のヨーロッパ思想史研究の方法を紹介するものだそうです。
内容の一部について、私のような浅学非才の身でありながら、少し疑問点が出てきましたので、自分の今後の勉強におけるメモ代わりに書き残しておきます。

チェーザレ・ボルジアについて
この本では、彼が運命に依存しすぎたと書かれていましたが、実際のところは、運命が彼を見放したという感じのような気がします。彼の父死亡後の、法王の選択を間違った事は正しいと思いますが、チェーザレ自身がその時にひどい健康状態だったのです。君主としての能力は抜群だったが、運がなかっただけ、という気がします。

フィレンツェ史」について
これはメディチ家から依頼されたもので、それにより、真実を書く一方、メディチ家の悪口をなるべく少なくする配慮が必要なものだったと思われます。そうしないために、輝かしいロレンツオ・イル・マニフィーコの時代で終わり、それ以後のメディチ家のだらしなさは書かなかったのかと思っていました。しかしこの本の中では、「メディチ家の反感の語気を抑えようとしない」とありました。少なくともロレンツオについては讃美の部分が多い様に思ったのですが、実際はどうなのでしょうか。

マキアヴェッリの死の告解
彼が死に瀕して、司祭を死の床に呼んで、告解を行ったのは、後の時代に敬神にかこつけて作られた話だと断言していました。しかし彼の子供の手紙の中には、父が告解を行ったと書いていました。
確かにマキアヴェッリは宗教についてかなり批判的でしたが、当時の時代背景と、死ぬ前に弱気になっていることを考えると、やはりちゃんとした宗教的手続きはしたのかなという気がします。

表紙の写真はヴェッキオ宮の彼の執務室跡内にあった、胸像に画像修正をほどこしたもののようです。