入れなかったサンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会(ローマ)

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アルテンプス宮を出て、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会を目指します。
この教会内に、ラファエロの絵画「巫女」があると、前もって調べていたからです。
雨の中、曲がりくねった路地をうろうろし、やっとこの教会を見つけます。
しかし正面に入り口がありません。
ひょっとして、そばの建物に受付のようなところがあったので、そこが入り口かなと思ったのですが、たずねてみるとこの教会とは関係ないとのことです。
また教会自体も閉まっているとのことでした。
わざわざ来たのに残念でしたが仕方ありません。
教会前の狭いスペースにある、開店準備中のレストランの前から、雨の中なんとかファサードの写真を撮りました。
 
この教会は、もともと15世紀に、トルコ侵略危機を乗り越えたことを神に感謝して建てられました。「パーチェ」というのが「平和」を意味します。
ちょうどフィレンツェではメディチ家のロレンツオ・イル・マニフィーコの時代です。
当時の教皇シスト(シクストゥス)4世がフィレンツェともめていたのですが、トルコ侵略の危機により何とか融和の方向に向かっていました。
それでもトルコが実際に攻めてきたら、「サン・ピエトロ広場の噴水でトルコ軍の馬が渇きをいやす」ような状況になり、イタリア全体の危機になりそうでした。しかしマホメッド2世の急な逝去により、トルコ軍は兵を引き、イタリア侵攻もなくなりました。
その後17世紀になって、ピエトロ・ダ・コルトーナによりファサードは現在のような、どーリス式の柱に囲まれた半円形の前室に建て替えられました。