エラスムスとトマス・モア

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世界の名著 17
エラスムス トマス・モア
責任編集 渡辺一夫
昭和44年1月20日発行
中央公論社

夜中、たまにNHK教育の「高校講座 世界史」を見ることがある。
高校のとき、世界史は未履修だった。
もちろん、これは今流行の未履修問題ではなく、単に日本史および地理を加えた3科目から2科目選択するという制度だったからに過ぎない。
しかしたまたまヨーロッパ暮らしを体験できて、世界史の知識があまりに無いことにつくづく後悔する事となった。
そんなこともあり、ヨーロッパに関連する時には、なるべくこの高校講座を見るようにしている。
ある先生が、エラスムスとトマス・モアについて取り上げていた。
いわゆる人文主義ルネサンスの精神のもと、当時のキリスト教自己批判し、より血の気のかよった制度・学芸を招来しようとした姿)の代表者である。
エラスムス痴愚神礼讃は、人間の存在自身や当時のキリスト教を皮肉る。
人間というものが、そんなに崇高なものでないよ、という考えには、同意できる。
痴愚神の仮面をかぶり、人間や宗教の批判をしているのは、さまざまな制約の中、現在とは比べ物にならないほど大変だったんだろうなと思う。
トマス・モアの作品は、少なくとも名前はよく知られた「ユートピア」である。
いわゆる共産主義の思想のもとという認識しかなかった。
しかし、以前パリで「ユートピア展」なるものを見に行った時、アメリカの独立宣言まで展示されていて、違和感を持った思い出がある。
でも、よく考えると、共産主義的なものだけでなく、アメリカの独立宣言のようなものも、やはり起草した人々にとっては、「ユートピア」を目指していたのには変わりは無いんだろうなと思う。

トマス・モアはその後、ヘンリー8世により、大逆罪でロンドンにて死刑となり、友人であったエラスムスも後を追うように、バーゼルで病死する。
彼らの不幸な晩年を思うと、人間の横暴さ、貪欲さ、などなどを思い悲しくなってしまう。
当時と比べて、今、そういった面が少しは改善されているのかとも疑ってしまう。

バーゼルの大聖堂には、エラスムスの記念碑があるらしい。
ライン河の渡し舟を渡った後、その大聖堂を見学した思い出があるが、エラスムスのことは当時まだ知る由も無かった。
世界史を勉強しておけば、彼の地にて彼らを偲ぶ事ができたのになあ、とあらためて反省する。
(写真はバーゼル市内を流れるライン河の渡し舟から見た大聖堂です)