
第五章 港町のたそがれ
1 商人にせまる運命
革命は当初から内陸的・農村的性格をおびたが、それは山岳派独裁による「恐怖政治」の時期にとりわけ鮮明になり、18世紀に繁栄を謳歌した港町に対する内陸社会の復讐という色彩を濃厚にする。
1794年1月にマルセイユに到着した派遣議員フレロンは、革命法廷にかえて特別軍事法廷を組織し、「卑劣な商人たち」に対する血生臭い弾圧を強化する。パリの三文文士フレロンは地中海港への憎悪を隠さず 、マルセイユの市名を「サン・ノン」(名無し)に改称したばかりでなく、ガルドの丘を破壊し、その岩石で港を埋め立てると宣言した。これはさすがに地元ジャコバン勢力の反感を買い、 一月足らずで新派遣議員メニェと交替させられる。 メニェは冷静な人物で、マルセイの市名を復活させ、秩序再建に行政手腕を発揮したが 、恐怖政治そのものは継続した。
海運業独立の理由
・蒸気船の導入
・鉄製汽船の建造による船舶の大型化
・定期航路の開設
19世紀のフランス銀行業は、公的発券銀行と私的個人銀行の二元構造を持つ。
2 出会いの消滅
港における出会いを消滅させた外部的要因
・輸送手段の発達であり、鉄道・航空機・自動車の普及とともに、商品・旅客輸送の手段は多様化し、出会いの場も分散する
・ラジオ・テレビ・電話・インターネットなどの情報・通信手段の発達により、異文化の流入経路は多様化する
内部的要因
・都市と港湾の分離
・船舶寄港時間の短縮
港の外部的拡張に並行して、港湾機能の合理的組織化における要因
・港湾工業施設の建設
・輸送、積み替えの迅速化のために、埠頭と貨物駅を有機的に連結する必要が生じる。
マルセイユ港の発展における3つの段階
・1855年から計画され、9年後に完成した埠頭倉庫の創設
・1870年代に始まる工業化
新港に並行する工業地帯が形成され、その周辺に労働者住宅が増殖する結果、無計画で雑然とした「北部地区」の貧民街が出現する。それは都市計画により整備された「南部地区」の高級住宅街と鋭い対象をなし、マルセイユ特有の「南北問題」を生み出した。つまりここでは都市と港湾の単純な分離ではなく、工業化による都市の二極分解が進行した。
(丘からの眺めの写真を元に調べている時、マルセイユは荒れたイメージしかなかったので、高級住宅街があるのだなと、かえって意外に思った。南北問題の根源がこういうところにあったのですね)
・マルセイユ西方がベール潟湖・フォス湾方面への港湾拡張
これら「付属港湾」は マルセイユから30から50kmの距離にあり、山脈を隔てて都市集落は断絶し、しかも1966年の港湾自治体創設により行政的にも独立するので、ここに都市と港湾の分離が決定的になる。
一般に「コンテナ革命」と呼ばれる1960年代以降の技術革新である。この革命により、貨物積み下ろしがわずか数時間で完了するようになると、倉庫や収納庫など一切の建物が不要になると同時に、乗組員が降船する必要もなくなったからである。出会いの可能性はここに完全に消滅する。
こうして典型的な現代港湾は、建物もなく人間もいない広大な砂漠の外観を呈し、都市文化の本質的要素を排除して、その対極に位置するのである。
3 海、この永遠なるもの
新しい都市問題への対応として、20世紀末から脚光を浴びるようになったのが、いわゆる「ウォーターフロント」の再開発計画である。
あとがき
フランス語固有名詞のカナ表記には、実際の音声と乖離した因習的方法がいまだに通用し、特に au、ou、aiなどの綴り字にオー、ウー、エーのような延音記号付き母音字を機械的に当てはめる習慣がある。しかし周知のように、フランス語に長母音と短母音の区別はなく、母音が長音化するのはアクセントを持つ場合のみであり、しかも鼻母音または末尾に特定の子音を伴う場合に限られる。そもそも綴り字と母音の長短は無関係なのだから、この習慣を改めた方がいい。さもないと例えばRouenを「ルーアン」と表記するような許容不可能な間違いが横行し、初心者の音声感覚を歪める危険性がある。