第2章 壁画と板絵
①軍事土木技師としてフィレンツェの防衛に寄与すること。具体的にはピサ奪還
②画家としての壁画制作
③外交官として、フィレンツェの防衛に尽力してもらう
1504年5月4日付けの、ダ・ヴィンチとの契約書
それに反論するには、実際にダ・ヴィンチが「壁画」制作に取りかかることが出来た時間枠について確認すればよいのでは?
その内
アトリエを与えられてから、フィレンツェを後にするまでの期間は2年7ヶ月
ピサ攻略作戦の実行に2~3ヶ月
フィエーゾレの休暇(飛行機の研究に没頭)で1ヶ月
残りは2年1ヶ月
この期間に「板絵」(タヴォラ・ドーリア)を制作し、「壁画」の下塗りをした
更に壁画を彩色したのは1505年6月6日から約5~6ヶ月(1505年10月末で壁画制作のための支払いがストップされる)
あらゆる事態を想定して壁画制作に二重の意味を提案したマキャヴェッリ
一つはフィレンツェ独立と民主主義の象徴
もう一つはチェーザレの戦勝記念
両方に登場する人物、それがオルシーニ家だった。
そう考えるとアンギアーリの戦いの図像的な謎、本来敵方であるはずの左側の二人の親子を丁寧に書き、主役であるはずの右側の騎士が未完成となった理由の説明が可能になる