ダ・ヴィンチ封印《タヴォラ・ドーリア》の500年 第3章~

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アンギアーリの戦い自体は、実際の戦死者は皆無で、落馬による死者一名だけだった。
当時の傭兵同士の戦いはそのような穏やかなものだった。
絵画での「アンギアーリの戦い」に見られる、圧倒的な迫力とはかなり違う。
チェーザレの創設した国民軍は、傭兵とは違う、国家防衛のために命をかける軍だった。

ナポレオンを見た哲学者ヘーゲル
「世界精神が馬に乗っている」と発言
その300年前、チェーザレを見たダ・ヴィンチマキャヴェッリヘーゲルと同じ気持ちではなかったか。

タヴォラ・ドーリアの左側の二人の騎士はミラノ軍、右側の重なるような二人はフィレンツェローマ法王ヴェネツィアの連合軍
しかしこの絵画には、フィレンツェの騎士はいない。
そして、敵側のミラノ軍のほうが、主役に見える。ヴァザーリさえもそう見えていた。

右側の連合軍手前の騎士はオルシーニ
彼が旗をつかんでいる手は右か左か?
左手なら、敗者となり、「旗を奪われる側」となる
右手なら、象徴的な意味で「旗を奪う側」となる
1504年当時、オルシーニ家は、フィレンツェ共和国最大の敵であるメディチ家と一体になり、その打倒を目指していた。
そんなオルシーニを「勝者」として賛美することは政治的にマイナスでしかない。それが壁画制作の中止につながったのでは?

ザッキアが1558年に制作した銅版画
ルーベンスが1603年に模写をする上で元になった作品
その銅版画の右下に明確に記載されている銘文
レオナルド・ダ・ヴィンチの自筆による絵画タベーラ〔板絵〕をもとに、ルカ出身のロレンツォ・ザッキアが苦心して模写し、1558年に版画に刻んだ」とある

その後このタヴォラ・ドーリアフィレンツェの捕囚時代
ドーリア家の所有
ナポレオンによる国宝認定
ムッソリーニによる国宝認定とダヴィンチ作にあらずの認定
そしてスイス・ドイツ・アメリカと渡り、日本を経て、イタリアに戻ることとなる

(このタヴォラ・ドーリアという板画においてダヴィンチ、それに絡んでくるマキャヴェッリチェーザレ・ボルジアフィレンツェ市庁舎の幻の壁画との関係。そしてこの板画が政治的・美術学界的により、真贋論争が複雑になる経緯、などなどたいへん興味深く読ませていただいた。
この本の著者は画商として実際にこのタヴォラ・ドーリアに深く関わってこられたゆえ、思い入れの強さがよく伝わってきた。それ故やや飛躍している部分もあるように思うが、やむを得ないことである。
ちょうど今京都でこのタヴォラ・ドーリアが展示されているので、この本片手に早速見に行った。
本当にダヴィンチの真作かどうかは自分の能力ではなんともいえないが、少なくとも作品の迫力を間近で感じることが出来たのは幸いだった。
近い将来、イタリア政府により、「これはやっぱりダヴィンチの真作でした」という結果が出ることを期待したい)

(画像は京都文化博物館のHPからのものです)