信長公記 戦国覇者の一級史料 中公新書

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信長公記
戦国覇者の一級資料
和田裕弘 著
中公新書 2503
2018年8月25日発行

太田牛一により書かれた「信長公記」は、織田信長の生涯を知る上での貴重で信頼出来る史料です。
本書ではそれについて、主な場面ごとに詳しく解説しています。
以前「現代語訳 信長公記」(中川太古 訳 新人物文庫)」を読んでいたのですが、やはり詳しい解説があると、更に深く読み込むことが出来ます。
読み進めながら、時々、大河ドラマの「軍師官兵衛」の場面が甦ってきました。
このような歴史書には、江戸時代に書かれた物でも創作の部分が強くなり、信用出来ないものも多いです。そんな中、「信長公記」という、信用に値する史料を残してくれた太田牛一に対して、改めて感謝の念が強くなってきました。

太田牛一の自筆本としては
信長公記」(建勲本)
信長記」(池田本)
太田牛一旧記」
「永禄十一年記」
の4本 p6

信長は天正4年(1576年)の安土城の築城まで岐阜城を本城とした。
岐阜城の様子については、宣教師ルイス・フロイスの記録に詳しい。「かつて私がポルトガルからインド、日本へと至るまでに見た宮殿や家屋の中で、爽快、精緻、豪華、清潔の点でこれに並ぶものは一つもなかった」p78

信長は将軍義昭を追放した翌天正2年(1574年)東大寺正倉院の名宝「蘭奢待」を切り取った。
蘭奢待とは、聖武天皇の時、中国から献上され、東大寺正倉院に納められた香木。三文字の中に「東大寺」を含んでいることから、別名「東大寺」とも呼ばれる。
日本イエズス会が1603年(捕遺は1604年)に刊行した「日葡辞書」にも記載がある。p131

信長は、当時日本を訪れていた日本巡察師のバリニャーノに安土城を描いた屏風を贈ったが、これが発見されれば、外観を再現する有力な資料となるが、いまだに発見には至っていない。p155-156