漢字とアジア 文字から文明圏の歴史を読む



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漢字とアジア
文字から文明圏の歴史を読む
石川九楊 著
2018年8月10日 第1刷発行
ちくま文庫

歴史とは「文体(スタイル)の積畳である」と定義する筆者。
言葉のスタイルや言葉以外のさまざまな文化ジャンル、また言葉の前段階での表現を人類史は蓄積してきた。そういうスタイルの積み重なりを歴史と考える。

中国語というのは漢字語のことで、中国語という言語はない。
その実態は、北京語であり、上海語であり、福建語であり、広東語であり、客家語である。
そういう言葉が中国語と総称されるのは、要するに漢字語としてひとつに括られるから。p30-31

中国語は単音節の孤立語。断言言語として、細かいニュアンス、含みを表現しづらいが、政治に非常に適した政治語。
漢字一辺倒に違和感を持つことになった日本。その違和の情念が新たな文字、片仮名と平仮名を生む
漢字文というロゴスに情念、エロスを助詞で補足する。p33-36

封建制はもともと「各国が独立しながら群雄割拠している状態」という意味。
それに対立する制度として中央集権、つまり「郡県制」がある。
日本の社会は近代に入って封建制から郡県制に移行した。p44

中国語の二つの特質
・中国語には西欧語にあるような文法もなく、いわば語彙の大宇宙
・品詞の区別がない
語彙の中に中国語の構造の秘密が隠されている。p46-49

都市は「点」
「線」がそれを結ぶ道
その道には3つの種類がある。
第1は海の道、第2は砂漠の道、第3は通常我々が「道」という陸を切り開いた道
前半の二つは自然に出来ている道で、つくるのが最も大変なのが三番目のいわゆる「道」p55-56

漢字・漢語が西と北、つまりチベットとモンゴルの方には及ばなかったのはなぜか?
書字というものが農耕と関係しているからではないか?p64-65

(第2章から第3章にかけて書自体の中からどのような中国史が見えるかということについて述べられている。
その時代の代表的な書体から、その時代の精神を探るというもの。
その中で篆刻穴熊戦法のように穴の中に潜り込んで、西欧のお手並み拝見、という見方が面白い
以前、塩野七生さんのローマ人の物語凱旋門の人物のレリーフからそれぞれの時代の流れをつかもうとしていたのを思いだした。)

朝鮮史を考えるための三つの前提
・朝鮮と中国の国境は定かでない
・朝鮮が一つであるかは自明ではない
朝鮮史も日本史とほぼ同様の時代区分で考察出来る p133

ハングルの特殊性を整理すると
・中国音の朝鮮訛り化
・漢字単位表記
・ハングルが狭い国家的統合として使われる p168-170

渤海国ができた頃に日本は生まれているという言い方も可能
日本は663年に白村江で敗北し、そして建国する。
渤海国の建国は698年。
そして渤海国が滅亡した926年ころ、日本は平仮名の誕生により日本文化が立った。 p200-201

唐という国が立って、唐という国がそのまわりに東アジアの境界線をはっきりさせた。
そうすると東の島に日本が立ち、朝鮮半島には新羅が立ち、北の方には渤海国が立つというかたちで北東アジアに4つの国が立ち上がる。
その中で唐が滅びると全部潰れて違う形に改変された。
日本は渤海新羅と違い、独自の文字を持ち、表現力を拡張した。p203-204

越南史は「漢字文明圏の南限」
越南が海岸べりに細長く南方に伸びているのは、文明が海によって広がってきたから。p207-209

元に対し
朝鮮は元朝に服属する
日本はたまたま勝ちを拾う
越南は戦って元を撃退した p225-226

越南のチューノム
漢字の出来方でいえば多くは形声文字に属し、意味と音をくみあわせてつくられている。p226

越南は1859年からフランスの植民地にされる。そしてその頃から、越南語のアルファベット化、ローマ字表記化がはじまる。p234-235

沖縄の結縄
田代安定「沖縄結縄考」
沖縄では藁算と呼ぶ p272

琉球を日本に近づけた力は、平仮名にある。
13世紀の後半に日本の僧・禅鑑が琉球に赴き、漢詩・漢文・和歌・和文と仏教を伝えたということになっている。p278

沖縄が漢文地帯にならなかった理由
島が小さかったからではないか。中国式の支配の思想よりも、平仮名という表音文字をうまく受け入れていった方が簡単に統治できたからではないか。 p286-287

日本語の特異性は、漢字と仮名の二つの文字を使うことから生まれた。
一つの事象に対して音語と訓語に仕分けして表現できる。p298

文字とは言葉であり、言葉と無縁の文字はありえない。文字は言葉のために、そして言葉とともにある。
声中心の西欧の言語と、文字=書字中心の東アジアの言語は基本構造を違えている。
この構造の異なる言語を錯覚して、同じ構造と取り扱うところから、東アジアの言語についても文化についても、西欧風のねじ曲がった理解と政策が蔓延することとなる。p330-331

文庫版へのあとがきに代えて
(この中で死刑について触れておられた。その中では自分と意見を異にする部分が多かったが、死刑執行を下級の役人ではなく、被害者の遺族にやってもらう、という点については同意出来た)