コペルニクス よみがえる天才5 (後半)

コペルニクス肖像画

第四章 『天球回転論』の出版 地動説の公表
若き数学学者レティクスとの出会いが運命を変えた。
彼がコペルニクスの唯一の直弟子になった。


コペルニクスの著述に占星術的傾向は見られなかった。
当時としてはその方が例外的だった。


1543年5月24日、コペルニクスの著書『天球回転論』の印刷本が彼の元に届いたとき、彼は亡くなった。享年70歳。


「地球が動く」という観念は、日常的な常識的感覚に反していただけではない。
地球の不動性を主張する伝統的議論とも対立していた。
天文学の伝統的な了解事項を次々と修正せねばならなくなる。


キリスト教との関係では、地動説と聖書との整合性が問題になった。
一般にカトリックよりもプロテスタントが厳しい態度をとったのは、プロテスタントが聖書のみを至上の権威としたからであろうか。


コペルニクスアリストテレス主義で固められた学問の堡塁にあけられた「蟻の一穴」であった。


第五章 静かな革命 天球回転論が起こす波紋
地動説をめぐっては、ガリレオの宗教裁判が有名になりすぎ、科学と宗教の反目・対立・相克・弾圧ばかりが注目され、歴史的な実情が覆い隠されてしまったように思われる。
宗教裁判は天球回転論の出版の90年後である。
両者の関係の三段階
・オジアンダー路線。天文学が正しい天文表の作成に寄与するだけを要請
・新しいタイプの地球中心説の出現
 二十数年にわたり継続的に天文観測を続けたティコ
ブルーノ、ケプラーガリレオがもたらしたさらなる亀裂と変容
ブルーノによる無限宇宙の視点
コペルニクス天文学を完成させるとともに、破壊したケプラー
天文学・自然学・宗教の問題点を一身に集約したガリレオ
望遠鏡観測による新発見をひっさげたガリレオ


コペルニクスは原理に忠実な形にプトレマイオスの天文理論を書き直す。つまり理論の内部修正に手を付けた。
問題から出発したのであって、観察から出発したのではない。
「根拠なき自信」を頼りに、不安に満ちた闇に飛躍した。
アリストテレス自然学からの「逸脱」から、その全面的「転覆」を経て、力学的世界像へ
最初の一歩、飛躍は難しい