柳田「民俗学」への底流 柳田国男と「爐邊叢書」の人々

柳田「民俗学」への底流 柳田国男と「爐邊叢書」の人々 表紙

柳田「民俗学」への底流

柳田国男と「爐邊叢書」の人々

松本三喜夫 著

青弓社 発行

1994年3月30日 第一版第一刷発行

 

はじめに

本書では柳田と地方の人々をつなぐ接点として「爐邊叢書」を取り上げ、柳田が地方の人々へ交わりを求めた理由について、地方の人々の立場から考えてみたい。

 

第一章 柳田国男と「爐邊叢書」

柳田国男の学風は「地をはって大地のあらゆるひだをさぐる」ことにあった。

 

「爐邊叢書」は全国各地の口碑や土俗を集めた叢書である。

内容的には、民俗誌、伝説、民話、昔話、方言、俚謡などが集録されており、主として地方に在住する郷土の研究家によって採集された、いわば一つの記録集となっている。

 

「爐邊叢書」の特徴

・執筆者32人中、14人の人々が『郷土研究』の執筆者である

・未刊に終わってしまった叢書計画が、実際に刊行された冊数の同数の37点あり、柳田国男の考えていた「爐邊叢書」の構想はもっともっと規模の大きなものであった

・「爐邊叢書」の続刊予定の書目の中には、「甲寅叢書」の刊行予定書目の中に入っていたものもみられた。その意味では、「爐邊叢書」の構想は、柳田自身が長い間にわたって温めてきた、時間的にも遠大な構想であったといえる。

・「爐邊叢書」は何よりも内容的に、現在の事実に忠実な採録と記録に重きが置かれていた。

・特に沖縄を中心にした南西諸島に関するものが多い

 

第二章 『遠野物語』の夢 佐々木喜善と『江刺郡昔話』

佐々木の民譚との関わりについて

 

佐々木の「鏡石」の「鏡」泉鏡花「鏡」、「石」は三陸の釜石の「石」からとったといわれる。

 

小説家を志していた佐々木が柳田国男に期待したのは、民俗学研究者としての柳田ではなく、抒情詩人としての柳田国男であった。

 

遠野物語』では佐々木はあくまでも遠野の民譚の体験者であり、話者だったが、物語を見て誰よりも驚いたのが佐々木自身であった。

自ら語った話の内容が、見事なまでに作品に変わっていたのである。

 

佐々木の作品から、彼の役割を見ると

・佐々木が民譚の「話者」・・・『遠野物語

・佐々木が民譚の「採集者」・・・『奥州のザシキワラシの話』『江刺郡昔話』『老媼夜譚』

・佐々木が民譚の「編者」・・・『紫波郡昔話』

 

第三章 雪国の爐邊語り 小池直太郎と『小谷口碑集』

『小谷口碑集』・・・長野県北安雲郡小谷(おたり)郷を中心とした地方に伝わる伝説、説話、年中行事などを集める

 

柳田国男の信州への旅は、その生涯の中で最も回数が多い。

養家へ立ち寄るためでもあったが、地方の郷土研究者の組織化という、より重要な目的があった。

 

柳田が小池直太郎で、最も高く評価している点は、彼が信州における甲賀三郎伝説の発見者であり、南信地方における「民俗学」の先駆者であり、行動の人であったからである。

 

柳田国男のスイスからの通信の『小谷口碑集』に関する主たる対象者は、著者としての小池直太郎よりも編集を行った馬場治三郎にあった。

 

第四章 菅江真澄との対話 中道等と『津軽旧事談』

柳田の津軽への関心の一つに「山人」あるいは「山の神」があったことはいうまでもない。もう一つは、菅江真澄津軽から南部の動向の研究である。

 

第五章 二人の知の巨人の狭間で 雑賀貞次郎と『牟婁口碑集』

牟婁口碑集』・・・西牟婁郡内の故事、伝説、民俗、俗信、行事などの口碑が集約

著者雑賀貞次郎は、和歌山県内の民族研究の先駆的存在として評されているとともに、南方熊楠の助手、あるいは側近として知られる。

雑賀貞次郎の『牟婁口碑集』の上梓にあたっては、南方熊楠の口添えと原稿の校訂があったといわれる。

また『牟婁口碑集』を出版した郷土研究社は、柳田国男が中心に運営していた「新しい種類の史学創造」のための出版社であった。

 

南方熊楠柳田国男は「絶信」したのであって「絶交」したのではない。

 

雑賀の執筆したものから柳田の関心を誘ったのは「獅子舞の起り」と「神隠しの事例」であった。

 

柳田学の著しい特徴の一つは、採集や記録によって日本民族の歴史を書こうとしたことである。

 

第六章 未刊の『爐邊叢書』 菅菊太郎と「伊予大三島誌」

 

菅と新渡戸稲造の交流は、柳田と新渡戸の交流よりも古い。

菅は札幌農学校に入学ののち、日本とヨーロッパの交流について、その起源にさかのぼって実態を明らかにする研究に取り組み、『日欧交通起源史』を著す。

そのために広くヨーロッパの資料を渉猟する必要があり、菅は新渡戸に依頼して彼の所蔵する資料を見せてもらうことになる。

 

終章 柳田「民俗学」の底流

地方の人々に出版物の執筆を勧めることによって、柳田と地方の人々の間により強力な人脈形成ができること、もう一つには地方の人々との交流によって、柳田自身一人の研究者としての立場から見たとき、地方の研究者の研究成果を逸早く入手できるという利点があった。