柳田国男外伝 白足袋の思想

柳田国男外伝 白足袋の思想 表紙

 

柳田国男外伝 白足袋の思想 
船木裕 著
日本エディタースクール出版部 発行
1991年12月5日 第1刷発行

この本では、できるだけ事実に即して柳田国男の実像に迫り、その仕事の価値を見直そうとしています。もっとも「外伝」である以上、従来見落とされてきた点を掘り起こし、これまで作り上げられてきた虚像を批判する面が強調されています。
ただし私生活については敢えて触れていません。p233

柳田国男〉覚書
「柳田さんのものを読んで、実をいうと、長く読み続けれないんですよ。なぜかというとテーマそれ自体の動的発展がないから、いつまで経っても平板な、似たような似ないような話がずるずる続いて行く。」p8

遠野物語は、佐々木さんがさまざまの言い伝え、昔話などを遠野の言葉で語ったのを、法制局参事官柳田国男自らが文語体で書き取ったということになります。
ここにこそ、「異様」の核心があるのではないか。
つまり素材と表現の問題を取り違えているわけです。p14

柳田の文章には、どこか、こう人を食うとか、とぼけたようなところがあるんですね、はぐらかすと言っていいんですが、この人(の文章)には。おそらく、気質や生い立ちだけでなく、官僚時代に増幅された用心深さや一流のしたたかな計算があるような気がするんですよ。p26

 

枢密顧問官柳田国男と総理大臣吉田茂

柳田国男の叙勲・叙位とその背景

翻訳家としての柳田国男
『是でも武士か』
ロバートソン・スコット 著
大正五(1916)年12月に東京の丸善から出版
布装、B5版、濃紺ハードカバー、387頁
真中を挟んで、左半分が英語横書き、右半分が日本語縦書き。日英両国語の合冊本 
訳者名は出ていない
実は翻訳者は柳田国男p127

国際連盟委任統治委任時代を別にすると、貴族院時代は、柳田国男が最も頻繁に外国人と交際した時期であった(貴族院書記官長柳田国男 岡谷公二) 
この本の著者ロバートソン・スコットは、ロシア人の日本留学生で、日本の民俗・方言研究に従事していたニコライ・ネフスキーとともに、国男が「最も深く交わった」相手である。
スコット(1866-1962)はスコットランド出身の英国人ジャーナリストで、大正四年初めに来日し、四年半、日本で生活した。p131

この『是でも武士か』の内容については、『プロパガンダ戦史』(中公新書)にかなり詳細に取り上げられている。

 

ある凌辱場面の目撃者の証言が翻訳から削除されている。
このことを発見した岩本由輝は「柳田がどのようなものを卑穢として退けたかを示す一つの事例」としてあげた上で「これは民俗学の資料ではないが、柳田は要するに、このようなことをたとい匿名の翻訳であれ、みずからの筆で表現するのを嫌ったのである」と述べている(『もう一つの遠野物語』)p142-143

この『是でも武士か』という書物は、欧州大戦(いわゆる第一次世界大戦)におけるドイツの不法行為、残虐行動を、いかにも実証風に、徹底的に糾弾している。その中心はドイツ帝国のベルギー国侵犯および残酷行為である。
大英帝国はベルギー国の中立侵犯を理由にドイツ帝国に宣戦布告したことに注意する必要がある。p144

書名について言えば、"Ignoble Warrior"(卑しむべき戦士)を『是でも武士か』と訳したのは、柳田の手柄であるといっていいだろう。なかなかの名訳である。p146

 

スコットはこう告白している。「この二冊のうち一冊(是でも武士か)は、日本のある公人の好意溢れる尽力の成果として翻訳された。このことは決して忘れはしない。この方は、なにしろ、極めて乏しい時間をさき、二晩徹夜して、その原稿を完成してくれたのである」
それにしても、これだけ厚い本を、わずか二日で翻訳したとは、さすがに能吏というべきである。p153

柳田国男自身が、当時の新聞記事から晩年『故郷七十年』の回想に至るまで一貫して、ユーモラスな世相風刺をしてみせる、博識で文学通の「学者翰長」、「とにかく暇が多い」法制局の仕事の合間に旅行して歩く「民俗学者」、「至極平凡無事な官僚生活」という自己の印象を、世間にひたすら強調しようとしている。p162

 

柳と雲
柳田国男とラフカヂオ・ヘルン(ラフカディオ・ハーン小泉八雲)との関係

他人の引用を好まず、また引用するにしても、出典をぼかしたり、明示せず、また他人の著作からの影響を極力自らの著作に反映させまいと腐心した柳田国男にしては、こうしたヘルン(ハーン)への言及の多さは、たぶん異例に属することだろう。p177

白足袋の思想

あとがき
柳田国男は一筋縄ではいかぬ相手だという思いを禁じえません。野球の言葉でいえば、さしずめ魔球をあやつる変化球ピッチャーです。その言動に幻惑されずに真の姿をを捕らえるのは至難の技です。また、言葉の広い意味で、極めて政治的な人物だと思います。p232