スラヴの十字路
スラヴの十字路
嵐田浩吉 著
里文出版 発行
平成25年9月4日 発行
スラヴ民族について、コンパクトにわかりやすくまとめられています。
序章
スラヴ民族とスラヴ世界
ヨーロッパ最大の民族グループはゲルマン民族やラテン民族ではなくスラヴ民族である。
スラヴ民族を簡単に定義するなら、インド=ヨーロッパ語族のひとつであるスラヴ語派に属するスラヴ諸語を母語とする人々となる。
東スラヴ族
ロシア人、ウクライナ人など
西スラヴ族
南スラヴ族
ブルガリア人やセルビア人・クロアチア人といった旧ユーゴスラヴィアの人々
なぜ「スラヴ」民族というのか?
奴隷(英語でslave)に由来するのは間違い
栄光、誉れという意味も間違い
「言葉」に由来するという説と、川に名前に由来する説がある。
二つのキリスト教と二つの文化圏
西スラヴと南スラヴの一部(クロアチア、スロヴェニア)はカトリック
東スラヴとその他の南スラヴは東方正教会
東方正教会は教皇のような全体的な首長は存在せず、それぞれの教会が総主教の下に完全な独立と自治を有している。
カトリック圏にはゴシック様式のようないかにもカトリック教会らしきものが、
東方正教圏にはねぎ坊主といわれる円屋根を戴いた教会がある。プラハの聖ヴィート大聖堂とモスクワのクレムリン内の教会群のように
第1章 東スラヴの世界
ロシア人の民族性
ロシアは他の国と比べて、農作業のできる期間が圧倒的に短い
短期間の集中とその後の怠惰、こうした一年の生活サイクルがロシア人の性格に影響を及ぼし、彼らを極端から極端に走る民族へと作り上げた。p36
ユーラシア主義
ロシアはヨーロッパでもアジアでもない、「ユーラシア」という独自な世界である、と主張する思想潮流
ノーベル賞を創設したアルフレッド・ノーベル
彼の兄たちがロシアを世界有数の産油国にした。
黒海沿岸に古代ギリシャの遺跡が数多く残っている。東スラヴ世界で古代ギリシャの遺跡が残るのはここだけ。特にクリミア半島は古代ギリシャとつながりが深かった。
第2章 西スラヴの世界
現在、中欧として必ず挙げられるのは、オーストリア、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、そしてポーランドの5か国
パン・スラヴ主義
スラヴ民族の連帯と統一を目指す運動。西スラヴと南スラヴの諸民族の民族的覚醒とともに19世紀初頭に生まれた。
ハンガリーは本来のヨーロッパ民族ではなく、東方からヨーロッパにやってきた異民族だった。
しかしフン族の子孫というのはまったくの俗説
東欧にはかつて世界で最も多くのユダヤ人が暮らしていた。東欧はユダヤ人のもう一つの「故郷」
第3章 南スラヴの世界
ブルガリアはヨーグルトだけではない。バラの国でもある。ダマスク・ローズというバラで、香水や化粧品などの原料となる。
エランというスキーメーカー
スロヴェニアが生み出した世界的ブランド
旧ユーゴ全域でムスリム人がボシュニャク人になったわけではない。
ボスニアと結びつきが強いこの名称を拒否しているムスリム人もいる
第4章 スラヴの芸術とスポーツ
2009年でゴーゴリ生誕200年
ロシア語作家といえ、ウクライナ出身であるゴーゴリについて、「ゴーゴリはウクライナの作家だ」という主張がウクライナから聞かれるようになった。
前衛(アヴァンギャルド)のロシア
世界初の社会主義革命を果たしたロシアは政治的前衛でもあったが、前衛の位置にとどまり続けなかった。
芸術面では20世紀初頭、あらゆる芸術の分野で革新を果たそうとした世界で最も稀なアヴァンギャルドの国だった。
シャガールの活躍とともに、そのベラルーシに属する出身地で「ヴィテプスク・ルネサンス」という芸術の時代が起る。
しかし1920年代前半に早くも終焉を迎える。
20世紀初頭、バレエの世界に革命を起こし、現在のバレエ芸術の礎を作ったのも、ロシア人が結成したバレエ団、セルゲイ・ディアギレフ率いる「バレエ・リュッス」なのである。
彼の所属したチームがディナモ・モスクワだった。
内務省のクラブとしてディナモが、赤軍のクラブとしてCSKAだった。
ディナモ・キエヴやCSKAソフィアのように、他の社会主義国にも広まって、現在でも引き継がれている。