サンチアゴ巡礼の道4000km

サンチアゴ巡礼の道4000km 表紙

サンチアゴ巡礼の道 4000km

石田昇二 著

東京図書出版 発行

2017年12月24日 初版第1刷発行

 

サンチアゴ巡礼の道のうち、スペインとポルトガル国内の巡礼道の徒歩による踏破記です。

もともと海外登山の豊富な経験をお持ちの著者です。

 

巡礼の起点はヨーロッパ各地に見られ、遠くは北欧、東欧、イタリアをスタートしてフランスの代表的な四つのルートに合流する。

・アルル(サン・ジル)の道

・ル・ピュイの道

・ヴェズレーの道

・トゥール(パリ)の道

 

スペイン・ポルトガルを起点とする代表的なルート

・銀の道 ローマ遺跡

・北の道 素晴らしい海岸線

ポルトガルの道

・サナブレスの道

・カタロニアの道

 

一般的に「サンチアゴ巡礼」イコール「フランス人の道」は80~90%の巡礼者が利用していると思われる。

 

1 銀の道

(2012年11月4日 セビージャ~11月22日 アルデアヌエバ・デル・カミーノ)

(2014年4月8日 アルデアヌエバ・デル・カミーノ~4月21日 アストルガ)

「銀の道」の名称は、紀元前にスペイン北部で採れた銀等の鉱物をローマに運ぶために造られた道、南部セビージャと北部ヒホンを結ぶローマ道から由来する。

 

サナブレス・モサラベの道

(2014年11月7日 グランハ・デ・モレルエラ~11月22日 サンチアゴ・デ・コンポステーラ)

「サナブレスの道」は「モサラベの道」の別称であり、何ら異なる点はない。

 

途中で80歳の女性が自転車でドイツからサンチアゴに向かっていた、という話を聞く。p59

 

2 北の道

(2015年4月22日 イルン~5月11日 ヒホン)

(11月8日 ヒホン~11月24日 サンチアゴ・デ・コンポステーラ)

サンチアゴが位置するガリシアの学校では、教育の一環としてポルトガル語と類似するガリシア語が取り入れられ、スペイン語と同様に公用語として利用されている。p75

 

到着したヘルニカ(ゲルニカ)の街はピカソの絵画で有名。ドイツ軍に空襲で破壊されて78年目、その時の模様を再現する記念行事が行われていた。p82

 

3 フランス人の道

アラゴンの道

(2013年5月10日 ソンポルト峠~5月16日 オバーノス)

 

ナバラのハビエル城でフランシスコ・ザビエルは城主であった父親の下生まれた。p129

 

フランス人の道

(2011年3月9日 サン・ジャン・ピエ・ド・ポー~3月20日 ブルゴス)

(2011年11月2日 ブルゴス~11月16日 サリア)

(2012年3月16日 サリア~3月20日 サンチアゴ・デ・コンポステーラ)

3月11日、日本で大きな地震があったと知らされる。アルベルゲ(巡礼宿)にはテレビは無く、事情を説明してコンピュータの映像を見せてもらう。日本時間の深夜息子に電話。彼は電話が通じたことにびっくりしていた。p136

 

旅を続けて巡礼者との付き合いで感じるのは東洋系、有色人種、スペイン、イタリア人のラテン系が一つのグループを形成する。

そして白人系、フランス人(ラテン人なのになぜか)が別のグループを作る。

当初は主に英語、スペイン語、フランス語で会話が行われるためと思ったが、どうやらそれだけではないようだ。

暗黙のバリアーがあり仲間意識が出来上がっている。

世界は広いようで狭い気がした。p145

 

フィステーラへの道

(2012年3月21日 サンチアゴ・デ・コンポステーラ~3月24日 フィステーラ)

地の果てフィステーラの岬へ

 

ムシーアへの道

(2012年3月25日 フィステーラ~3月26日 ムシーア)

もう一つの最果てムシーア

 

4 ポルトガルの道

(2016年3月15日 リスボン~4月1日 ポルト

(11月16日 ポルト~11月28日 サンチアゴ・デ・コンポステーラ)

 

5 カタロニアの道

(2017年3月17日 モンセラト~4月1日 サンタ・シリア・デ・ハーカ)

今回の巡礼地の特徴は、殆どすべての村や町が城塞を伴っていることである。