東欧・中欧
ドイツ
ヨーロッパへの伝統への情熱には、どこか 過去の帝国主義時代の黄金期への郷愁が潜んでいはしないだろうか。 アジアのバラック掘立小屋の存在が、ヨーロッパの偉大な街並みを支えてきたことを考えると 、ただ単純に日本は浅薄、 ヨーロッパは偉い、の発想で受け流すわけにはいかないと思う。
これまで共産圏から西側諸国へ国境を越える際には、なぜか必ず、ホッとした感じになったものだ。
なぜかベルリンの東西の検問所を抜けた今回は、それがなかった。東側よりも西ベルリンの方が街の表情に暗いものが感じられたくらいなのだ。自由ベルリンは、灰色の雲の下で肩をすくめるようにして 静まり返っている。活気も、エネルギーも、明るさもなぜか感じられない。
これはあくまで小説家の空想ですが 、こんなことは考えられないでしょうか 。かつて東西冷戦の最中で 職業的な情報工作員として活躍していたスパイたちは、東西で両陣営とも ベルリンの壁の消失で失業しました。 食うに困ったかってのスパイたちは、それまでのプロとしての能力を生かして窃盗や 麻薬取引やキャバレーの用心棒や、彼らとしては屈辱的な仕事に携わることになったのです。
オーストリア
ウィーンのカフェで「ヴィエナ・コフィー・プリーズ」 と頼む五木さん。
出てきたものはビールとコーヒーだった。
「ビア・コフィー」と聞こえたようだ。
ザッハー・トルテも『セビリアの理髪師』も柳田国男に言えば 、共にこの痛苦なる人生をアミュー ザンするものに変わりはない。
ポーランド
リトアニアに近いビアウィストックの街を訪ねた。その町をわざわざ見に行ったのは、そこがエスペラントの父ザメンホフ博士の生地だったからである。
ザメンホフの記念碑の上に 「売春宿」と落書きされていた。これはただの子供のいたずらではない。明らかにカルパントラ事件と同じ性質の反ユダヤ主義のしるしである。
ソ連の中東に対する進出を食い止めるためにこそ、イスラエルは有用な国だった。アメリカはそのことで絶えざる援助をイスラエルに送り続けてきたのである。それがソ連の外部への進出が不可能になった今、アメリカにとってイスラエルはお荷物に過ぎない。
チェコスロヴァキア(チェコスロバキア)
(「プラハの恋人たち」「異国の街角で」は紀行文というより短編小説のようになっている。どちらもプラハで出会った怪しい若い人たちとのいざこざを述べている。どこまで五木さんの実体験か分らないが、小説として単純に面白い)
若い粗末な軍服をまとったソ連兵たちは、器用にタバコを指先で巻くのだった 。プラウダの紙切れや宣伝ビラなどを細かく破り、その上にタバコの刻んだやつを乗せ、片手でくるりと巻き上げると赤い舌をペロリと出して唾で端をおさえ、髭の間に突っ込むようにくわえて火をつける。
彼らソ連兵がプラウダをやめて、英語のコンサイスのインディアン紙を愛用し始めたのは、ソ連軍の入城のひと月ぐらい後のように思う。
英和辞典の薄く、しなやかな紙で巻いた煙草が、プラウダのザラ紙よりはるかにうまかっただろうことだけは想像に難くない。
ブルガリア
ヴァルナは前にも書いた通り、ブルガリア第三の都市である。
ブルガリアには美しい響きをもった街が多い。ソフィア、はもちろんこのヴァルナにしても、私は好きな音だ。ソフィアが秋の感じなら、ヴァルナは夏の音色だろう。
ユーゴスラヴィア(ユーゴスラビア)
北欧の楽しい日々 特別対談 川上麻衣子
スウェーデン人がどうしても意識するのは、ノルウェーとデンマーク。
「ノルウェーは田舎もんだ」って言います。スウェーデン人と話していると、四カ国を「北欧」と一緒にしちゃうとものすごく怒る。