柳田国男の見た菅江真澄 日本民俗学誕生の前夜まで

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柳田国男の見た菅江真澄 表紙

 

柳田国男の見た菅江真澄 日本民俗学誕生の前夜まで
石井正己 著
三弥井書店 発行
平成22年9月7日 初版発行 

三河に生まれた菅江真澄(1754~1829)
その後半生を旅に暮らす
信濃に滞在した後、出羽・陸奥、そして蝦夷地まで歩き、『真澄遊覧記』と呼ばれる克明な記録を残す
神社・仏閣だけでなく、年中行事や民間信仰に関わる庶民の暮らしを記録 

柳田国男は菅江の内閣文庫の蔵書を読み、秋田図書館を訪ねて著作目録を作る。そして昭和2年から昭和5年の講演など、本書は柳田の情熱が集中した時期に焦点を当てている。

 

遠野物語に出てきた『外国』
献辞の『この書を外国に在る人々に呈す』
そして106話で「海岸の山田にては蜃気楼年々見ゆ。常に外国の景色なりと云ふ」
山田と「外国」は深いつながりがあったのでは。
昭和2年の『老媼夜譚』89番塩吹臼より
「‥若い時分には山田港に入ったロシヤの船などに出入りしたりして、世間の広い人であった」
山田港はロシアと日本を結ぶ出入口だった。p24-25

遠野物語に出てきた「西洋」
27話の頭注「此話に似たる物語西洋にもあり偶合にや」と疑問を持っている。『グリム童話集』の「29 金の髪の毛が三本ある鬼」では?
84話 江戸末期でも、ロシアをはじめ北方とのつながりは、我々が鎖国という先入観で見てしまう以上に、かなり盛んだったよう。p26-27

 

柳田が行った菅江真澄研究の現れ方
第一期 明治・大正期 文庫・旅行における調査 
第二期 昭和初年代  講演・執筆と『真澄遊覧記』刊行
第三期 昭和10年代  『菅江真澄』刊行と旅行
第四期 昭和20年代  自著の挿画と書き入れ本
p164

柳田の云う郷土研究の三つのやり方
旅人が目で見て調べられるもの
一定期間滞在する寄寓者が目で見、耳で聞いて調べられるもの
そこで生まれた人でなければできないもの
菅江真澄は寄寓者には近いかもしれないが、違う。
一番近い民俗学者宮本常一かもしれないが、それでも民俗学者は誰も真澄にはなれなかった。p174-175