やさしいダンテ「神曲」

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やさしいダンテ「神曲
阿刀田高 著
角川書店
平成20年1月31日 初版発行

ギリシャ神話などの古典を易しく解説している本を多く書いている阿刀田氏による、「神曲」の解説本。
「やさしい」と言っても、やはり他の外国の古典のように、現代人には難しい所が多くなってしまう。
この神曲が「中世欧州のキリスト教価値観」に従って書かれた物の為、現代の日本人には難しいのは仕方がない。
まあとりあえずは、地獄・煉獄・天国のキリスト教世界観、ベアトリーチェに対する異常なほどの愛情、そしてダンテを導くウェルギリウスの属するギリシャ文明に対する影響、などが着目する所なのだろうか。

この「神曲」が、文学のルネサンスとして認められているのには、イタリア語を文学として昇華させたほかに、多くの理由があると思うが、その中でもギリシャローマ神話の影響もあらわしている点と、キリスト教的世界にもかかわらず、ダンテが自分のエゴを強く出している点があると思う。
何せ歴史上の人物や、自分に関わった人たちを地獄・煉獄・天国のそれぞれの場所に置き、自分で死後の運命を勝手に創造してしまっているのだからスゴイ。
どんなに迫真の描写でも、よく書かれているのならともかく、ひどい書き方をされた人の先祖や関係者にとってはいい迷惑である。

それにしても地獄、煉獄、天国とあるが、地獄はわかりやすいが、やはり関西流で言うとえげつないところも多い。
そして天国は、やはり幸福の概念というものがわかりにくいように、いろいろ難しい神学論争が出てきて、結局「信じることが理解する事」となっているような感じだ。
煉獄は多くの場合、人間の二面性というのが現れており、一番人間的らしい気がする。
例えばプロヴェンツアン・サルバーニのエピソード。
彼はシエナ全体を自分の掌中に収めるなどとする僭越な真似をしたから煉獄にいる。
しかしその一方、栄耀栄華をきわめていたころ、彼は恥も外聞も捨てて、自らシエナのカンポ広場に立ち、獄中に呻吟する友を救い出すために(彼は皆に喜捨を乞い)、しまいには全身の血管が(恥ずかしさに)ふるえた、とある。
そのおかげで、彼は同じ煉獄でも、まだましなレベルにいることができた、とのこと。
神曲」のなかでは、このような様々な人間らしいエピソードが、現代のただの日本人にはなじみやすいのかな、という気がする。