2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

カポ・ディ・ボヴェ荘の名前の由来(アッピア街道沿い、ローマ)

前回写真を撮った場所から、経路を直角に曲がり、改めて写真を撮ります。 中世になり、1302年、このあたりはフランチェスコ・カエターニ枢機卿が所有するようになります。 彼は教皇ボニファティウス(ボニファス)8世の甥にあたります。その恩恵を受け…

ツールドフランス エヴァンス総合優勝!

ツールドフランスが決着した。 総合優勝は、エヴァンスである。 この選手は、悲運の選手であるという印象が強い。 二位が多いのと、結構トラブルに見舞われていたからである。 去年などは、マイヨジョーヌを着た途端に腕を負傷し、アシストの選手に引っ張ら…

カポ・ディ・ボーヴェ(牛頭)荘の遺跡(アッピア街道沿い、ローマ)

この遺跡は、2世紀半ばの私的な浴場施設とのことです。 モザイクの床などが残っていますね。 個人でもこれだけの浴場が持てることから、裕福さが伺えます。 当時この一帯は、ヘロディアス・アッティクスという知識人により所有されていました。 彼は元老院…

21世紀に発掘された遺跡、カポ・ディ・ボヴェ荘のパネル(アッピア街道沿い)

表示に従って中に入っていきます。 写真のようなパネルがあったので、参考のために写しておきました。 やはり説明文を英語で書いてくれているのは、本当にありがたいですね。 それによるとこの場所は、2002年に文化省が私有地を買い取り、同年末から発掘調…

カポ・ディ・ボヴェ荘のモニュメント?(アッピア街道沿い、ローマ)

アッピア街道を更に歩いていくと、上の写真のようなモニュメントがありました。 その時のことについてはあまりよく覚えていないのですが、この写真の真ん中の標示を改めてよくみると、「Capo di Bove」と書いてありました。 どうやらこのあたりで…

アッピア街道の変化(ローマ)

サン・セバスティアーノ聖堂を出て、再びアッピア街道を郊外に向けて歩いていきます。 写真のように、途中で石畳の大きさがかわっています。 手前が小さい表面積なのに対し、向こう側が広い表面積になっています。 もともとのアッピア街道は、広い表面積で…

サン・セバスティアーノ聖堂内部(アッピア街道沿い、ローマ)

サン・セバスティアーノ聖堂の本堂に入ります。 もともと、4世紀初頭に建てられた時は、使徒ペテロとパウロに捧げられた聖堂でした。 その後聖セバスティアヌスがここに葬られ、9世紀ごろにはその名を冠するようになったそうです。 現在の様式は17世紀…

教会の模型(サン・セバスティアーノ聖堂内部、アッピア街道)

サン・セバスティアーノ聖堂内部に入り、なぜか上の階への階段を登っていきます。 たどり着いた部屋には、写真のような教会関連の模型がありました。 写真の教会は、サン・セバスティアーノ聖堂とは別の教会のようです。 他にも、聖書関連の模型があったよ…

サン・セバスティアーノ聖堂(アッピア街道沿い、ローマ)

ロムルスの廟から、更にアッピア街道をローマ側に歩くと、写真のようなサン・セバスティアーノ聖堂に到着します。 この地下にはカタコンベが広がっているのですが、たまたまついた時間は昼休みになっており、見学できませんでした。 個人的には、カタコンベ…

ロムルスの廟を覗き込む(アッピア街道、ローマ)

一旦、マクセンティウスの競技場のスペースを出て、アッピア街道に戻り、ほんの少しローマ側に歩き、金網越しになんとか苦しい角度で、覗き込みます。 この写真の手前の普通の家は特に関係ありません。 その奥の少し見えてる建物がロムルスの廟と呼ばれるも…