フロイスの見た戦国日本
フロイスの見た戦国日本
川崎桃太 著
中央公論新社 発行
2003年2月25日 初版発行
戦国時代の本を読む時、ヨーロッパ関連のことも気にかけながら読んでいるのですが、よく目に付くのが、当時日本で宣教活動を行った伴天連ことキリスト教宣教師たちです。
その中で最大の日本通として知られていたのが『日本史』の著者ルイス・フロイスです。
この本はその解説入りダイジェスト版です。
本来、宣教師の報告書というものは、キリスト教発展の歴史の叙述なのですが、フロイスは布教とは直接関係ないことまで詳細に述べています。
そのおかげで、信長や秀吉、多くのキリシタン大名や武将、更には当時の日本の風俗、文化、芸術などの記録も残してくれており、たいへん貴重な歴史史料となっています。
秀吉を語るフロイスの言葉には、信長に対するほどの愛情と親しみが感じられない。
その最大の理由は、後述する関白の発したキリシタン禁教令にあるのだが、かつて信長が見せたほどの異国の人と物に対するおおらかで開放的な度量が、この天下人には欠けていた。
秀吉のキリシタンを見る眼には初めから猜疑心が込められていたようである。p67
当時の日本では、伴天連の説くデウスに従うか、それともデウスを棄ててこの世の主君を選ぶかの、二者択一を迫られる機会があまりにも多かった。
フロイスは日本の武士道のあり方を和田惟政の生き方を通し、また高山右近の身の処し方において見ることができた。p180
秀吉には側近ともいえる三名のキリシタン武将がいた。
小西行長、高山右近、黒田官兵衞である。
禁教発令後の秀吉のこれら三者に対する扱いには、明らかな変化が見られる。
右近には、宗門の放棄をストレートに命じている。
それに対して小西と黒田の入信にはあまり気を使っていない節がある。
両者の場合、信仰が右近ほど強固でなかったこともあるが、武将としての利用価値が棄教を強いるメリットを上回ったことによるのだろう。p181
フロイスが関白秀吉の聚楽亭を観賞した後で記した日欧建造物比較論
聚楽町の方が優れている点
・街路が整然としていることやその美しさ
・屋敷の新鮮さ、清潔さ
・建物の完璧さ
ヨーロッパの町より劣っている点
・城内の武装と家屋の材質
・威容と建築構造
・富貴という点 p227-229
伴天連による日本人の評価
良い点
・中庸を好む性格
・慎み深さと躾の良さ
・優しく、多感な心の持ち主
欠点は
・未知の人を通常、その外観や服装だけで評定する
・一般に秘密を守るということではあまり信用のおけぬ国民
キリシタン根絶のために幕府が用いた手口
・徹底した検挙。鎖国後は寺請制度を設け、全ての日本人に某寺の壇家であることを証明する書類の提出を義務づけた。
・密告制度
・五人組と呼ばれる連座制
・婚姻手形により特定の寺に所属されることを保証 p242-243
日本という、言語も文化も政治も異なるはるか遠い異国での布教。
上意下達で動くこの国の仕組みにより、布教の焦点を武士階層に移していく。
信長、秀吉に関する記述が比較的多いのは、為政者との折り合いが布教の運営と継続には不可欠であったことの証。 p252-253