明石海峡と
明石川という、水運の拠点に当たる所に船上城があったのがよく理解できます。
1585年8月、
羽柴秀吉による国替えにより、
高山右近は高槻四万石から明石六万石に移ります。
明石の領主に
高山右近が決まったとき、領内の寺院はたいへんな恐慌を引き起こしました。
僧侶たちはことごとく明石から追放されてしまいます。
特に、船上城に隣接した宝蔵寺は空き家となり、教会になったと伝えられます。
これが現在の宝蔵寺です。
1587年6月、秀吉は
キリシタン追放令を出します。
そして右近は信仰を捨てず、追放されます。
この報は7月に入り、明石にもたらされ、家臣や司祭、
キリシタンらは家を捨て、旅路についた、と
フロイスによって記されているそうです。
一途な思いは魅力的なのですが、それが権力者となると、多くの人に迷惑がかかってしまいます。
寺の内部の立て札によると、昭和になり、この寺で
隠れキリシタンの十字架が発見されたそうです。
(「ひょうごの城」を参考にしました)