司馬遼太郎 著 播磨灘物語(中)

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講談社 発行
昭和55年11月25日 第27刷
 
播磨灘物語(中)は、軍師官兵衛でも出てきた、秀吉が播州を評定でまとめるのに失敗した「加古川評定」から始まります。
 
竹中半兵衛はかって官兵衛に「人のいのちは短い。ようやく一事がなせるのみ。一事のほかは私はやらない」と言った。
半兵衛にとって、一事とは武辺だった。
そして半兵衛にとって、恩賞も死も余事であった。
そしてそんな偏頗者に近いものを官兵衛にも感じていた。
半兵衛の死を聞いた時、どうしようもない悲しみにおそわれる。
 
もし信長が議論好きな書生であったなら、眼前の卓子を一刀両断で斬り放つような勢いで、中世的な迷妄の全てを自分はこのようにして亡ぼすのだ、と言ったであろう。
中世が終わろうとした時代であったが、その中世の諸権威は、力を喪いつつも、なお権力や権威のかたちで、あるいは人々の心の中で、この国に棲み続けている。
信長はそれを焼き尽し、殺しつくした。
 
信長は高山右近を調略しようとして「降伏しなければキリシタン宗門を断絶する、と脅した。
困った右近は、相談のためイタリア生まれのイエズス会士、オルガンチノに相談する。オルガンチノは信長の性格をよく知っていた。信長の言うことは単なる脅しではなく、本気でこの新しい宗門を停止するに違いない。
信長という専制君主は自分たちの宗門に理解を示してくれるが、油断はしていない。仏教を排除するためか、西欧世界との貿易のために保護しているのであって、神の教えを奉じようとしていないことをオルガンチノはよく知っていた。
 
荒木村重に幽閉された官兵衛。
少しずつ衰えていく自分に対し、ともかく死なないことしか考えられない。
そんな中で牢のひさしに見つけた藤の芽。
この天地の中で、自分とその芽だけがただ二つの生命であるように思われた。
神を信ずる官兵衛にとっては、それが神の信号である以上に、ごく自然な感動が湧き起こってしまっている。
その藤の蔓はいよいよ青いものを大きく弾かせはじめ、さらに花の支度をはじめる。
やがてその藤に鈴のような花房の群れが下がったとき、官兵衛は天が自分を捨てていないことを心から知った。
 
牢から救出された後、小寺藤兵衛(政職)の身を心配する官兵衛。
小寺のせいで、こんなひどい目にあったのにもかかわらず。
官兵衛は物事を表と裏や前後左右から見てしまうため、絶対的な怨恨というのが、心の中で成立しにくいのである。
ものごとに対する目が見えない小寺を憐れむ気持ちのほうが、つい先に立ってしまうからである。