ゴシックということ

イメージ 1

ゴシックということ
前川道郎 著
学芸出版社
1992年6月20日 初版第2刷発行

ゴシックの「古典大聖堂」とは、シャルトル・ランス・アミアンの三つをいうとのこと。
このうち、著者は、ランスを最も典型的な古典と見なしている。
ランスは、西正面の比例的均衡が素晴らしい。尖塔を冠しない双頭構成によって、その均衡は完璧なものとなった。

イタリアのサンタ・マリア・ヌオーヴォにおいて、ファサードに、美しい石によってまことに見事な比例を持つ美しい顔を描き上げた。著者はそれを「厚化粧の美女」とよんでいる。ランスはその対極で、軀体の構成がそのまま造形になっており、後代の装飾が、過剰なかんざしとなって美貌を保っている。それは単に薄化粧で、素肌の美を消すことがない。

フランスの文人シャトーブリアンはゴシックにガリアの森の深みを見た。
またゴシックに北方の森林の起源を見ることも無視できない。

ミラノ大聖堂の西正面。イタリアでもっとも北方的と言われるゴシック。しかしその大地に根ざしたような構成で、細部にはルネサンス様式が目立つ。著者は、イタリアにはまことのゴシックはないと思う、と書かれている。

内部空間の光の使い方。ステンドグラスは構造的にも美的にも、光を通す開口、窓ではなく、透明な壁なのである。つまり「ゴシックは透明でほのかに透きとおる建築」であるといえる。
(ゴシックとは関係ないが、聖堂と内部の光ということでは、フィレンツェのサント・スピリト教会を思い出す。うす暗い中に注ぎ込む太陽の光線に感動した思い出がある。あれは偶然だったのだろうか。それともあらかじめ設計上で意図された演出だったのだろうか?)