マキアヴェリ「君主論」

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新訳「君主論
マキアヴェリ 著
池田 廉 訳
2008年6月30日 改版7刷発行
中央公論新社

 相手国を支配する場合、前の支配者の子孫を根絶やしにすることが必要と、16世紀ごろまでのイタリア周辺の仁義無き勢力争いの中で導き出された結論。21世紀の現在でも、それを実践している超大国
その国の行動に当てはめると、君主論の中で、一見時代錯誤で、非道と思われることでも、いまだにその超大国をはじめとして、世界各地で行われているという、恐ろしい事実。

 君主は貴族か平民かどちらの支持をあてにすべきかという命題。現代の日本では、総裁=首相を選ぶ際、与党内での力関係で選ぶか、あくまで選挙を考え国民の人気で選ぶか、という選択のように思える。最近の首相を見ていると、どちらのパターンも当てはまる。

 歴史の闇に消え去りそうだった、チェーザレ・ボルジアという男を、「君主論」において、不滅の存在にしたマキャヴェッリ。「神がイタリアの贖罪をお命じになられたかと思える、一条の光が射したことがあった。」と、その存在を讃えている。
 チェーザレは、私益を、「イタリアのため」という大義を元に追い求めた。マキャヴェッリも、失脚後メディチ家に取り入るため、「君主論」を捧げた。序文および末尾の文でその気持ちが見える一方、イタリアの現状も憂えている。私益の追求も、公益に合致すれば許される、とこの本の中で主張している。