みんな昔はこどもだった
池内紀 著
講談社 発行
2018年3月20日 第1刷発行
池内さんが小学5年の時貸本屋で借りた。
「エッヘへへ ファウストだろうがセカンドだろうが わけありませんや」
幼い頃声に出して読んだセリフを、半世紀のちに同じセリフを口ずさみながら訳していく。
取材先の記録にあたり、小型カメラのオリンパスペンを愛用した。フィルムがハーフサイズ、一本のフィルムが倍に使える。残された写真は総計十万枚にあまったという。
小さなカメラ一つで後世のために、この島国の生活民俗的絵巻物をすくいとった。
柳田国男少年の福崎での世界
北 鈴ノ森神社
西 市川・駒ヶ岩
南 稲荷様
東 昌文小学校・妙徳山
のちの柳田民俗学の広大な広がりを煮つめていくと、この小さな四辺形に往きつく。
「海女部史のエチュウド」と題されたエッセイより
現・福崎町からだと車で30分も南に走れば、瀬戸内海に出るが、明治十年代には海までが異国のように遠かった。
十歳の時、山の上から春霞の中、初めて海と島を見る。(男鹿島か?)
田舎の少年は出世をして海を見て歩こうと思った。
昭和十一年前後、運命共同体となった日独伊。
日独、日伊の交換放送を熱心に聞く澁澤龍彦少年。
フロントで鍵を受けとる際、まねをして同じメロディーを口笛で吹いて見せたところ、イタリア人はにやりと笑った。
むろん、ネオ・ファシストでもなんでもなく、ほぼ同じ世代と見えたから、幼い頃に覚えたまでだろう。
イデオロギーはまったく関係ないのである。